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わたしたちのところにきてくれてありがとう

2020/06/11 13:32 3064g 50.4cm の元気な女の子を出産しました。
コロナ対策のため立ち合い出産も第一面会も出来ず、退院まで夫すら会えないというトンデモ事態でしたが、なんとかやりきりました!
出産する全ての妊婦さんが陣痛と闘う間サポートする家族が居ないなんて、複数のお産をみてくれてた助産師さんは毎日本当に大変だろうなと感謝するばかりです。
娘が産まれてきてひと月経ったので、忘れないうちに妊娠までの経緯から出産の記録を残しておこうと思います。

こどもが欲しかったんだけどね

こども服作家をしたり、こどもに関わる仕事をしてきた、自他共に認める「人の数倍こどもが好き」なわたしは、こどもが欲しかったけれど、初潮からずっと生理周期の安定しない、いわゆる生理不順でした。

30歳を過ぎてから夫と付き合いはじめ、2015/12/20にわたしたちは夫婦になりました。結婚して半年後に現職についたのですが、何故かこんなタイミングでスタートアップに入社。
今でこそ人数も増えて部署ができて業務が細分化され、働く状況は緩和されていますが、仕事は楽しいけれど忙しく、数ヶ月生理が止まってしまうことがあり、婦人科を受診して妊活についても相談したのです。

ホルモンの数値は悪くないものの、卵巣に残っているネックレスのような卵子があることから多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されました。大きくなるはずの卵子が大きくなりきらず卵巣に留まってしまい、排卵がしにくいのです。こどもが欲しいなら年齢のことも考慮して、早いタイミングで不妊専門のクリニックへということだったので、近所のオススメのクリニックを紹介してもらいました。

不妊治療はじめました

治療はまず自分の体のことを知るために検査したり、日々の基礎体温をつけたり。ありがたいことに夫は協力的で、男性に必要な検査も積極的に受けてくれました。結果はやはりわたしが多嚢胞性卵巣症候群のため、きちんと排卵されていないのを薬で排卵を誘発し、タイミングをとっていくということになりました。

訳あってしばらく妊活をおやすみしていた時期もあったのですが、治療期間はおやすみ期間も含めて2年半くらいだと思います。
後半1年は大好きなコーヒーはカフェインレスへ移行し、お酒も断ちました。
靴下は夏でも履く、冷たい飲み物を避けて常温から暖かい物を飲むなど、なるべく体を冷やさない工夫をするほか、効果があったと手応えを感じたのは、よもぎ蒸しでダイレクトに子宮を温めることと漢方です。よもぎ蒸しは初めて行った翌日に基礎体温が爆上がり、継続したことで基礎体温のベースアップが出来たのでした。漢方は薬局で買ってチャレンジしてみた当帰芍薬散がむくみが解消されて自分には合っている気がしたので、クリニックで処方してもらっていました。

わたしの場合は
・タイミング法
・AIH(人工授精)
の治療に取り組みましたが、AIHにチャレンジしたのは一度だけで、授かった周期は排卵誘発薬は飲んでいたものの、AIHのできる日に都合がつかなかったためタイミングに頼り、結果的に自然に授かることが出来ました。

この授かることが出来た周期には、甘いもの断ちにもチャレンジしました。
下の動画では多嚢胞の人は高温期に、そうでない方は卵胞を育てるために低温期にという解説があります。わたしは多嚢胞でしたが卵胞を育てることが大事な気がしたので、生理が終わってから高温期に入るまで甘い物を一切摂らないということをしてみました。

他の周期と違うことをしたのはこれだけなので、効果が出たのかもしれないと思っています。もし同じ症状でお悩みの方が居たらチャレンジしてみてもいいかもしれません。

喜びの妊娠判定、からの…?

無事にクリニックで妊娠判定をしてもらい、心拍確認が出来てすぐに台風により自宅が床上浸水しました。ラッキーだったのは建物の構造上、道路から床まで1m以上あったので、浸水したとはいえ1cm程度で済みました。
周辺は局地的に被害が大きく、ひと月くらいは近所全体で土臭い感じが漂っていました。
すでにお腹に子がいることが分かっていたので、泥かきをするなどの体力仕事は全て夫がしてくれて、わたしは細かい掃除をするだけに留められたのですが、やはり夫婦揃って心労は大きかったように思います。

今年も豪雨などによる災害が既に出ていますね。乳飲子を抱えての避難のことを考えるといろんな対策をしなくてはなと感じます。
被害のあった地域には1日もはやく心休まる日が来ることを祈っています。

妊娠の経過はどうだったかというと

妊娠中と言えばつわりですが、いわゆる食べづわりなのに、胃が痛くて妊娠前の半分くらいしか量を食べられず、5キロほど体重が減りました。
豚肉の油がキツくて好きなはずのウインナーが食べられないかわりに、普段そんなに欲しないリンゴジュースが大活躍!妊娠判定前日に急に梅干しが食べたくなったことと、夜中にお腹がすいたらプチトマトを何個か食べて過ごしたのが印象深いです。
タバコの煙と排気ガスで吐き気がし、歯磨きも辛かったですが、産んだ途端に解消されました。あ、でもタバコは妊娠前よりは辛いですね。

不妊治療をしていたり、高齢出産ということもあり、何かしらのトラブルがあるのではと覚悟はしていましたが、結局特に大きなトラブルもなく、子はすくすくと育ってくれ、9ヶ月の段階で体重はプラス5キロ、臨月で浮腫の水分もあってか結局出産時はプラス7キロでした。
臨月手前くらいから腕のむくみがひどく、歩いてるだけで指先がパンパンに、朝起きると指が曲げにくく、右手の小指はバネ指に…こちらは出産した今も産前ほどではないものの継続中で、腱鞘炎と共に地味にしんどい症状です。

いよいよ出産という時に

緊急事態宣言が解除され、もしかしたら立ち合いは無理でも第一面会くらいは解禁にならないかな…と淡い期待をしていましたが、予定日の数日前に該当病院の別の科でクラスターが発生。産科には影響はなかったものの、病院のみなさんは相当な努力されていただろうなと思います。無事に予定の病院で出産出来たことに感謝です。

初産は予定日より遅れるとはよく聞く話ですが、いつ出てきてもおかしくない…とハラハラしていたのに、38wの検診でも全然出てくる気配ナシ。
予定日当日に検診を入れてあり、NSTしてもらいましたが、まだまだ前駆陣痛とのこと…。その時点では子宮口1cmでした。

深夜から朝にかけて陣痛らしきものが15→8分になるも、初産は安定して10〜5分間隔になってから!という言いつけを守った結果、朝には遠のいたのでこの日は病院に連絡せず。午前中は寝てお昼頃から散歩して過ごし、波がやってくる度に立ち止まっては痛みをやり過ごす1日でした。

翌3:00過ぎに10〜7分間隔で一度病院に電話するも、「7〜5分間隔になったらもう一度電話して」ということで2時間耐え、5時過ぎに改めて電話。夫を起こしてシャワー浴びて軽く朝ごはんを食べ、夫の運転で病院へ出陣します。晴天の朝6時、ピカピカのお天気にもうすぐ誕生する新しい命にエールを貰ったような感覚でした。

さて、出陣です

内診してもらうと子宮口は3cm、入院用の荷物を持って貰い病棟まで行ったところを最後に、夫とは感染防止のために退院までしばしの別れとなりました。入院の手続きを終えた頃に陣痛は少し遠のく時がありましたが、ここからも5分間隔程度で微弱陣痛が続きます。

疲れてはきたものの全然耐えられるレベルと感じていたので、お昼ご飯を食べて陣痛の合間にウトウト、おやつの頃に散歩するなどお産の進む努力をしてみたり。となりの部屋からずっと壮絶な声が聞こえるので「もうすぐ産まれる感じですか?」と尋ねると「声が大きい人がお産が進んでるわけじゃないからね☆」と言われ、痛みの感じ方と耐えられるレベルは人によるんだと勝手に納得。
しかし夕方トイレへ立ったところで急な吐き気を催し、マーライオンのごとく手洗いへ嘔吐。ショックでぐったりしつつ、だんだん強くなる腰痛に耐えていたところに運ばれてくる夕食を前に2度目の嘔吐。全然ご飯が食べられる気がしないので、食べずに提げて貰いました。

内診してもらっても子宮口も変わらず3cmほどで、殆ど進まないお産…このまま進まなければ明日は促進剤投与という話でした。夜間はとにかくひたすら耐えるだけ。テニスボールを痛みの和らぐところに敷いて、自分の体重で圧をかけて過ごしました。
深夜2時頃トイレに行こうと立ち上がったところで3度目の嘔吐。つわりでならともかく、陣痛で吐くことなんてそんなあることなのかと思っていましたが、痛みでの嘔吐は良くあることだそうです。
もはや飲み物を飲むだけでも吐きそうなので、助産師さんと相談の上でここからは飲まず、朝から点滴で水分を摂るということになりました。

翌朝6時頃に内診してもらった時に子宮口は5cmまで開いていました。昨日進まなかっただけに夜通し必死に耐えた甲斐あったとホッとしたのですが、いつの間にか尿もれのように破水して羊水が出ていたことが発覚。点滴で水分と抗生物質を投与してもらった頃に先生が出勤してきたので、予定通り陣痛促進剤でお産を進めることが決まりました。

夜は夫への連絡を控えていたので、この時点で電話をかけて状況を説明したのですが、どうやら心配でほとんど眠れてなかったらしい。せっかく全室個室だったから、もうちょっと電話したりしてお互い励まし合えばよかった…と今になって反省しています。
朝9時から促進剤をスタート。誰も付き添ってもらえないので淡々といきみ逃しをしていき、10時半頃内診すると子宮口は8cm!進んだ…!と安心したのも束の間、もうちょっと頑張ってねと助産師さんが部屋を出るやいなや急に襲ってくるやばい!出る!!!の感覚に、慌ててナースコールを押して「あの、なんか、出そうです…!」
すっ飛んできてくれた担当とは別の助産師さんが、お尻のあたりを押さえながらいきみ逃しのサポートをしてくれました。こういうサポートしてもらったのはこの時が初めてで、涙が出そうになったあたり心細かったんだなと感じます。何回か波をやり過ごしたところで内診してくれて、ついに全開に!!

車椅子を持ってきて貰ってバタバタと分娩室へ移動したのが11時頃。ここでようやくいきめる状態になったわけですが、全開になったからって何度かいきめば出てくるって訳じゃないんですね。体勢を変えながら波に合わせていきむんですが、子はじわじわゆっくり降りてきていたようです。
陣痛のピークは同僚から聞いた「陣痛は人生最大級の便意」というのがしっくりきました。何度かうんち出そう…って口にしたくらいだけど、出てくるのは間違いなく子でした。
13時頃に「もうすぐだね!旦那さんと電話する?」と確認してもらったのですが、自分にもう余裕が無いことと、こんな急に繋いで叫び声だけ聞いてたら夫がしんどいだろうと勝手に判断して、そのまま出産することにしました。

会陰切開の説明と麻酔をしてもらったあと、股に何かが挟まっている感覚があり「次の波でちょっとだけいきんで、すぐ力抜いてね!」の指示通りにしたら、下からトゥルンと人間が出てきました。

えっ!頭出ます〜次肩だよ〜とかじゃないんだ!という驚き。子はすぐに元気な泣き声を聞かせてくれて、産まれたんだな〜と実感しました。先生や助産師さんからお祝いの言葉も貰ったので、すぐ夫へ電話をかけ、泣き声を聞いてもらいながら産まれた報告を取り急ぎして電話を切り、産後の処置をしてもらいました。

産んですぐにしたことと言えば水分補給。ペットボトル1本をすぐ飲みきり、2本目も半分くらい飲んだと思います。お願いしていた臍帯血バンクへの協力も無事に出来ました。カンガルーケアをしたり処置を一通り終えたところで、改めて夫へビデオ通話を繋いで、子の様子を伝えながら休憩出来たのはよかったなと思います。ちゃんと親子3人の時間でした。

出産を終えて

病室へはさっと立ち上がってサクサク移動出来るくらいには元気でした。翌日から母子同室と母乳育児が始まりましたが、ぐっすり寝ていて母乳もミルクもなかなか飲んでくれず苦戦。黄疸の数値があまり良くなかったので念のため光線治療をし、治療は予定より半日長くかかりましたが、おかげさまで無事に一緒に退院出来ることになりました。

ここで晴れて夫が娘と対面。小さい命を抱き上げて、とても嬉しそうな顔をしてくれたのは忘れません。
帰宅した夜に娘が寝たあと、やっと顔を合わせてゆっくり夫と話せて、お互い頑張ったねと労いあったところで幸せを噛み締めて涙が止まらなくなりました。これからもっとたくさん頑張らなくてはならない時があると思いますが、きっと一緒に頑張ろうと結婚の時以来の決意をしたのでした。

娘は1ヶ月検診までに体重は1キロ、身長は5cmも伸びて、退院時は混合だったのが完全母乳でここまで育ったことをお褒めいただきました。
今のところ特に病気や気になる点は無く、健康そのものです。これから多少の病気や怪我はするでしょうが、元気で素直、感性ゆたかな子になってくれたらいいなと願っています。安心した顔で気持ちよさそうにしている娘を見ると、こう声をかけたくなります。

パパとママのところに産まれてきてくれてありがとう。
みんなで一緒に未来へ歩んでいこうね。大好きだよ!

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