記憶と音楽

つらいときは音楽が聴きたくなる。

そういえばチコちゃんに叱られるで、人がランニング中に音楽を聴くのは、ストレスを20パーセント感じにくくなるからと言っていたな。

そうなんだよ。
音楽聴いてたら、なんかボーッとしてきて、メロディと思考が一体化するんだよ。
よっぽど疲れてるときほどこうなる。

今日はそれが最上級に酷くなったら人間は、(少なくとも自分は)どうなるのか、末路を話そうと思います。

1月、受験前でめちゃくちゃナイーブになってたんですね。
で、気を紛らわすためにガンガンに音楽聴いてて。
そしたら、昔聴いてた曲がおすすめされる訳で。ええ、なんせSpotifyなんで。

なんかそうしてるうちに、その曲にハマってた時期の心情とか出来事とか思い出してきて。
疲れてる時ってそれがつらい出来事ばっか思い出すんですよね。

走馬灯のように駆け巡って、余計ダメになっちゃって。
それはそれで感傷的になれて自傷行為みたいな快感はあったんですけど。

悲観的になることは、悲しいことです。
いや、小泉構文じゃなくて、悲観的になることは幸せを感じられなくなっててその思考が悲しいよって。
......結局小泉か。

しかし人間とは不思議なもので、同じ曲を昨日聴いたら、あぁ、これはつらい出来事に寄り添ってくれた曲だ、この曲はなんて美しいんだろう、この曲がなければ私の感情はあのとき成仏できていただろうか、と思えて、その曲があるこの世界がパーっと素敵に見えたんです。


あー、言いたいこと言い切っちゃったんで締めるのムズいなー
まとめとかねえよ。

まあないなりにまとめると、
音楽にこんなにも感情を様々な方向に動かされるの、悪くない生き方かもなーって
同じように、小さな幸せにも今ある日常にも繊細な心を持っていたいものです。

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