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妊活再開

自分達の身体の状態を知る為に行った不妊治療専門クリニック。
初診の院長先生によるタイミング指導でまさかの妊娠。
拍子抜けしてしまう程あっという間に不妊治療専門クリニックは卒業となったが、その後受けた新型出生前診断(NIPT)で21トリソミー陽性となり、更に確定検査である羊水検査に進むも結果が覆る事はなく、21トリソミーが確定となった。

元々お腹の子に障害があったら妊娠の継続は諦めると夫婦で話し合って決めていた。
なのでお腹の子は諦める事にするのだが、決めていたとは言えいざその選択の時が来ると苦渋の決断となった。

そして2020年10月14日、私は20週0日で小さな小さな男の子を出産した。
この時の事はまた別に書きたいと思う。

それから2ヶ月が経った12月、生理再開の兆候が。
その後1月にも来るがまだ正常とは言い難く、正常と思える量になったのは2月になってからだった。

そろそろ妊活を再開しようと考え始めるが、また不妊治療専門のクリニックに通うか、地元の病院(人工授精まで可能)にするか悩んだ。
コロナ自体は落ち着いてきていたものの、都会では変異株が出はじめていた頃で、私が住んでいる所は田舎故かコロナに対する考え方や捉え方が都市部とは大分かけ離れていた。
(今でこそそんな事にはならないが、当時はコロナに感染したとあれば差別的な扱いを受ける可能性が高かった。流行り始めの時なんて、引っ越しを余儀なくされた一家もあったくらい。)

妊娠する確率で言えば専門のクリニックに通った方が絶対いいに決まっているが、コロナに感染する確率を考えれば当然札幌に行くより地元に居た方が感染の確率は下がる。
最後になるであろう妊活の場が地元の病院になると思うと何とも心許なく複雑な気持ちではあったが、コロナに感染する事で周囲に与える迷惑の度合いを考えるとそうするしかなかったというのが正直な所だった。
(義母と同居な為余計に)

そして暫く地元の病院でタイミング指導を受けるもなかなか妊娠せず…6月から排卵誘発剤を使用してのタイミング指導、8月にはデュファストンやクロミッドを併用するようになっても妊娠せず…
そして10月には次のタイミング指導が入りそうな時期に私に出張が入っていて、それをキャンセルできない事を夫に伝えると

仕事と妊活とどっちが大事なの?

なんて「仕事と私どっちが大事なの?」っていうメンヘラ女の代表みたいなセリフを吐かれて胸糞悪くなり大喧嘩。
子供を望む気持ちは私よりも夫の方が強く、月に一度しかない妊娠出来る貴重なタイミングを仕事のせいで失ってしまうのは夫的に許せなかったらしい。

10月のタイミング指導が入りそうな時期に出張を入れていた私が悪かったと夫に謝ったが、あまりにも夫がぐだぐだ言うのでキレた私は夫の目の前で各所に連絡し、あれこれ理由をつけて出張を無理矢理キャンセルした。
(当然その後とんでもなく面倒な事態となる)

これでいいんだろ?これで満足か?

と吐き捨てるように言った私に夫は何も言わなかった。
正直、この件に関して私は夫に謝る必要も出張をキャンセルする必要も全くなかったと今でも思っているし、夫に対して幻滅した瞬間でもあった。

結果、強いストレスからかこの周期では卵胞が十分に育たず、タイミング指導すら見送られる事態に。
夫と大喧嘩した話しを医師に話したら、「ご主人ともう一度よく話し合って、不妊治療専門のクリニックに通った方がいいのでは?」と言う話しになり、夫と話し合った結果、10月29日に再度神谷レディースクリニックへ行く事になった。

そして予約した10月29日。
呼ばれた診察室で待っていたのは初診のタイミング指導で妊娠が発覚した後、受診した時に見てくれた医師だった。
私はクリニック卒業後子供がどうなったか、地元の病院でタイミング指導を受けていた事、その時医師が言っていた事等を伝える。
その後内診をし、再度診察室に呼ばれた時医師に言われる。

・子宮は異常なし。
・卵巣に卵の数が少ない(急いだ方がいいと連呼される)
・今日風疹のワクチン打つつもりでいたけど、そうなると採卵の妨げになるから採卵後に変更しよう。
・年内に妊娠を目指すなら11月からどう?

と言う事で、どうやら私が妊娠する為には急がなければならない身体なようで、風疹のワクチンは打たずにまずは採卵に向けて準備をする事に。
とは言え11月は仕事がびっちり詰まっていた為、12月はクリニック側が忙しく、年が明けた1月から本格的に始める事に。

・1月に生理が来たら1~3日以内に電話で診察の予約を入れる
・その時糖尿の検査もやるからその日は水以外飲食禁止
・午前中の予約がいいと思う。
・体外受精の同意書も書いて持ってくること。
・自己注射もして貰う事になるから動画も見ておいて
・ちょっと痩せようね^^(適度に頑張ると言ったら食い気味に「適度じゃなくていいよ、結構頑張っていいよ^^」と言われる)

そして年が明けて1月15日、私は40歳になった。

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