ゼロ年代と、それ以前のシンギュラリティ── #4 市川春子 『宝石の国』



無限の時を生きる宝石達の散り際は、あまりに一瞬で儚く脆い───。






本作との出会い


最初に本作にふれたのは18歳の5月


少しずつ初夏の香りが感じられた、少し蒸し暑い季節の中、当時専門学生として福岡の片田舎から、福岡市に通って通学していた。

東京や大阪ほどでないにせよ、そのときの自分にとっては十分すぎるほどの大都会であった。


特に思い出に残っているのが、TSUTAYA天神ショッパーズ福岡店に通っていたこと。

福岡市地下街から直結したノース天神とのアクセスも良好で、毎週のように足を運んでいたことを思い出す。


TSUTAYAではあるものの、この店舗は中古本の取り扱いもおこなっており、学生の身としてはお財布に有難い書店だった(さらに中古50%OFFなどのセールも不定期に開催されていた...!)。


こうしたTSUTAYAに通い始めて、店舗を観覧するなかで、これまであまり漫画を読んでいなかったことを思い浮かべた。

前年度の浪人生時代に小説読みになっていたものの、漫画はあまり触手が伸びていない。

新生活を新たに、何か読んでみよう。そうして色々と装丁を眺め、手に取ったのが本作『宝石の国』であった。


ホログラムなきらめきがデザインされた表紙は、宝石の美しさをそのまま体現しているかのよう。

期待を胸に本を開くと、そこには人間の想像を超越した、異界の惑星と月世界が佇んでいた。





擬人化された宝石達


宝石の国の登場人物は、一部を除いて鉱物の名前がつけられ、その特性を反映させたキャラクターづくりとなっている。

たとえば、本作の主人公・フォスフォフィライト

実際に存在する鉱物のフォスフォフィライト同様、薄荷色の発色を髪に模した頭部に施されている。
主人公サイドには宝石が28人存在するのだが、フォスフォフィライト(以下フォス)は、最低クラスの硬度三半となっている(ダイヤモンドの硬度は十)。

その脆さ故、宝石を装飾品にすべく襲い掛かる月人との戦いに、参加できないジレンマを抱えている。


上記のような宝石を擬人化した設定に興味を惹かれながら、余白の広がる宝世界、その幻想美に心を奪われた。特に夜に読む宝石の国は極上の読み心地へと誘ってくれた。

本作は神仏要素、生物学的な学術的世界を、著者・市川春子氏が独自に創り上げている。

その異界の世界が、俗物な日常からの解脱となり、一種の精神的解放の機会となれたように思う。

確かに、夜に読むを精神が安らかに落ち着いて、眠りにつきやすかった。
うまく眠れない日にも読んで心を整えていた。





『宝石の国』から影響を受けた感性の大きさ


思い返すと、僕は創作物に対し「物語」を追い求めていた。いわゆる雰囲気を感じる作品は苦手な傾向にあった。

宝石の国はストーリテラーな面も強い作品ではあるが、どちらかといえば、作中の世界観を味わう漫画ではないだろうか。

そんな自分が初めて好きになった幻想美な世界が宝石の国であった。


本でいえば、幻想小説。音楽だと、ドリームやポストエレクロトニカなどが近い系統であろうか。自身の芸術感性を大きく広げてくれた作品である。


この執筆は夜に作成しているのだが、今日の宵の時間にでも宝石の国の世界に没入し、非日常な物語を体験したく思う。




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