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「自分の人生を生きる」というのはどういうこと?

こんにちは、いろ鳥です。
「自分の人生を生きたい!」という衝動を、十年以上前からずっと抱えて生きていました。この時、「自分の人生を生きる」ということが何を示すのか、何を意味するのかなんて全く分かっていませんでした。ただ、衝動として「自分の人生を生きたい!」と強く望みが出たのです。

この時自覚できていたのは、『自分の人生を生きていないから、「自分の人生を生きたい!」という望みが出ているのだな』ということでした。こんなところは妙に冷静で、自己分析が出来ていたのが謎ですが(笑)自分が自分の人生を生きれていないというのは明らかでした。

それから時間は流れて2024年。そんな昔の自分の問いについて、今の自分が答えを伝えるなら「今自分に付いている、自分と不一致した思考・感情・癖・信念・意識・通念を手放したら自分の人生を生きれるよ」といったところでしょうか。その当時は気が付かなかったんだけれども、自分と不一致したもので自分の周りと自分を構成し過ぎていたんです。それと一体化しすぎていて、そのことにすら当時の自分は気づいていない。しかし違和感はぬぐい切れないといった感じです。なのでやることは、自分の不一致なものを自覚して手放すこと。そうすると自分の核が見えてきて、自分の純粋な考えや望み、感情を体感することができるようになり、「今、自分を生きている」という感覚を取り戻せれるようになります。

ただ、当時の自分がこの「自分との不一致」ということについてなかなか気が付くことができなかったのは、「自分はダメな人間だ」という根底に深い自己否定が蔓延っており、自分の感覚(自分と一致しているか不一致しているか)すら分からなくなっていたからです。なんでも自分に関することは否定するという癖が付いてしまっているので、嫌だと感じることも「自分がしっかりしてないからそう感じるのだ」と捉えてしまったり、楽しいと感じることも「こんなことで楽しんではいけない」という、謎のセーブをかけてしまう癖を持っていたのです。これじゃあ生き辛いに決まってますよね。

自分の思考や感情、信念や通念は、想像以上に他者から学んだものを無意識に自分の中に取り込んで採用してしまっている、ということを覚えておいてください。その時に忘れてはいけないのは「他者のせいで自分はこうなった」という被害者意識を持たないこと。確かに、自己否定による思考や感情の持ち方、そこから来る信念の構築については他者から学んだかもしれないけど、それを採用したのは紛れもない自分です。他者から学んでも「私はその考え方を採用しないな」と、スルーすることも出来たんです。でも、そうしなかったのは自分がそれを取り入れたから。だからといって「自己否定が強いのは自分のせいなんだ」と自分を責めることもやめてください。そうではなくて、「自分は他者のやっていることを学んで自分のものとして選択して、採用する力があるのだ」という見方をしてください。その生き方を選んだのは自分ですし、自己否定が強い生き方を採用してその通りの人生を歩んでいるのも、自分に力があるからなんです。自分の生きる世界は自分で創造する。これがこの世界の絶対的なルールなんです。自分に力があるからできることなんです。

要は、「他者から学んだ思考や感情、通念を自分の人生に採用することもできるし採用しないこともできる。選択するのは自分自身だ」というやり方を知らなかった、分かっていなかったために苦しんだだけということ。魚のさばき方は知らなければできませんが、やり方が分かればできるようになります。それとただ同じこと。人間の生き方も魚のさばき方と同じと思ったら、ちょっと気が楽になりませんか。

「自分の人生を生きたい」「私は自分の人生を生きていない」と感じる人は、自分はたくさんの見えないほこりやゴミを身にまとっている状態だと捉えてください。物理的な汚れならお風呂に入ればいいですが、内的なほこりやゴミはそうはいきません。だからといって難しいことは無く、自覚しながら一つ一つ取っていけばいいわけです。掃除だって汚れている場所を確認しながら掃除していきますよね。それと同じ要領です。目新しく感じるのはそのやり方を伝えている人が少ないことだからだと思います。私も試行錯誤しながら自分なりのやり方を身につけていきました。

「自分の人生を生きる」とは、シンプルです。自分の本当の望みを認識し、それに思考を向かわせ、閃いたことを行動していく。その繰り返しだと思っています。だからこそ、本当の自分と一致した状態が不可欠。まずはその状態に自分を戻してあげましょう。その方法は無限にあります。焦らず一歩ずつ進んでいきましょう。


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