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ロックが好きだと思っていたし

ようやく泣けるようになってきた。
「生きるだけ生ききりたい」
と、思う。



そうだ、祖父も
「死ぬまで生きるから大丈夫よ」
と言っていた。
そんな至極当たり前の言葉に
笑って泣いた。
そりゃそうだ、それは誰も操作できない。

そして祖父は命を燃やしながら
しっかり体力を蓄えようと運動する。

心臓の手術をしたから
無理はできないけれど
自分の足で立てるために
辛いんだろうが少しずつ
動いている。
病室でトイレに行くのはコケても
娘の肩につかまって階段を昇るってのは
なんとかやり遂げた。
娘は希望だ。
私の母のことだ。
いつだって。

逆にいけるか?
という期待で
無茶をすることだってある。
でも
それでぶち破ることすらも。
彼らの思う未来が、頑固にあるならば
そうして何度でも不死鳥のように蘇るかとしれませんが、心配です。


それだけ自分を信じたくなる。
そのくらい
祖父は今回の手術
自分をその自分に落とし込むことが大変だったのかもしれない。
というほど、私が知らない素のままの祖父で、知らないけれど知っていて面白くてなんだか笑ってしまったし、私たちはちゃんと距離を保てる段階にまだあるんだなと感心して。

より一層愛せるかもしれないとも思って。
心配と可能性となにかと。

自分はどうか。
動く。素敵な言葉だと思う。
「動」という言葉は例えば
「静」より"しずか"なのに。
重みのある空気の流れを作るのは確かに動だし
しんとしたところに流れを感じるのは静だし

自分はといえば
あんまり難しく考えていなくて
その時素敵なことに
吸い寄せられるように生きていたい。
それがどこだって。
だからもう少し頑張ってみたい。


自分はどう生きるか
自分の指針とズレてもいいので
よくわかんないけど面白い人だったね
と言われて
どこかふっと笑えるところもあったら
そんな風に逝けたならいいなと思う。

ジプシー・サンディーも
エレクトリック・サーカスも
スモーキン・ビリーも
バードメンも
世界の終わりも
シェアができなくて寂しいが
いつかどうぞ。



しかし
どうも煙草を吸わない日々というのは
自然にお腹が空くけれど
タイミングを測りかねるところもある。
なにかに絶対負けねぇ…!
っていう気持ちがないと酔うし
気持ち記さないと。

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