Iroc.

好きなときに、好きなことを、好きなだけ。 食べ物や飲み物、写真に音楽に読書などなど。 …

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好きなときに、好きなことを、好きなだけ。 食べ物や飲み物、写真に音楽に読書などなど。 たまにはいろいろと考えてみたり。

最近の記事

生活のオト

朝の音。 誰かの車のエンジンがかかる。 聞こえてきた。ごみ収集車のオルゴール。 衣擦れの音。 歯磨きの音。 掃除の音。 食器洗いの音。 お湯の沸ける音。 エプロンの音。 布が、手が奏でる。足音。床に触れる。 スリッパ越しも裸足でも。 水の音。 蛇口を捻る、ポットにいれる。真っ直ぐ流れる。楽しく踊る。 料理の音。 野菜とか、お肉、お魚。今日のごはん。 角切り、ざく切り、千切り、乱切り。 ハーブとスパイス、調味料。 浮身にあしらい、準備の音。 さくさくざくざく とんとん

    • 消えるものと残るもの

      絵を描くようになった。 勉強もしたことないが 適当に気分の絵の具を置いては ナイフで伸ばしてみたりなりなんなりと やちゃもちゃしている。 今まで幼稚園から義務教育の カリキュラム内で美術的なものを なにも作り上げていない気がする。 授業の時間内に 絵は描ききれたことがなかったし 造形物を作る時も 作りきれたことはなかった。 終わりがあるから 終わってしまうんだけれども 何時間使っても それが完成されたと思うことがなかった。 ま、そんなこんなで。絵とかなんだとかそんな感じ

      • コンソメスープの思考

        考えを「寝かせる」とか アイデアを「寝かせる」 などと言う。 発酵させるとか 熟成させるとか そういった意味なのだろうか。 どちらかというと 料理的な意味の「寝かせる」に近い気がする。 そう仮定すると 寝かせるにあたって 下処理が必要になる。 なにかしらの調理や味付け。 思考やアイデアを寝かせるために その材料がなんなのかを知る必要があるのか。 例えば。 玉ねぎとにんじんとじゃがいもと肉を切って、鍋に入れておくだけじゃカレーにはならない。炒めて味付けして煮込んで、寝かし

        • 「応援道」

          というものがあるかもしれない。 剣道、弓道、杖道 書道、華道、香道、茶道、武士道などの "道"という言葉。 「道」は道である。 継承のカタチなのか。 と、テレビを見て思った。 気持ちというものはうつろうというのに 応援、というその気持ち。 どうしてこんなにかたいんだろう。 誰かを応援したい と思うその時 ひとつ光のような未来を がっぷり四つで見るような気がする。 それと同時に どうか気持ちだけでも共にあれ と願うのかもしれない。 ひとつ信仰のような 人の思いがカタチ

        生活のオト

          私の「怒り」について

          怒りは悪ではない。 大切な感情だ。 そのことに納得できるまで しばらく遠回りしてきた。 おかげで本来怒りであろうものは 悲しみとなり 言葉にできない感情が増え よく分からないきっかけで 涙が溢れる人間になった。 今回の話は とってもプライベートなところにある 怒りの感情。 自分や周りに近しいことの怒り。 今の自分の怒りのみたいなもの。 ストレートな怒りの感情って いつからもやけちゃったかね。 怒りをそのまま感じるより 分解して悲しみとしてしまう方が 自分は楽だったの

          私の「怒り」について

          缶ビールは半分残っている。

          時間というものは 過去であって未来であって今がある。 音楽を聞いて心が動いた時は今。 今がつなぐ過去と未来もある。 簡単に時空を見誤ってしまう私は 今それを聞き含まれた過去や未来のそれも "イマ"だと有耶無耶にしてしまう時がある。 確かに過去の経験は今の自分のものさしになっているかもしれない。確かに未来はわからないから自分が求めたい形かもしれない。 それでも繋がった形は遅かれ早かれ同じような輪郭を描いている可能性もある。もちろん違うこともあるだろうけれど。 縁というもの

          缶ビールは半分残っている。

          感覚と文字の味

          自分の味覚を信じているだろうか? 私は自分だけの範囲で、まぁ信じている。 しかしそれを周りと共有するとなると難しい。 その品を食べてもらえるならばまだよいが。 特に写真やメッセージでシェアとなると 感覚と言葉を結びつけられぬ語彙力のなさと わかりやすく伝えたい欲からくる 表現を盛りたくなってしまう幼稚さに なにより自分が残念だと思うことは そのままを感じ切ろうとする覚悟がないこと。 自分の感受性を軽視しているようにすら思う。 そもそも自分の感覚を信じてきっていないのかもし

          感覚と文字の味

          はじめて恋しくなった夏へ

          突然だが夏は好きではない。 理由は暑いからだ。汗をかくことが嫌だ。 じめじめしたなま温かい空気が ぬるっと肌にまとわりつくのも 人をフライパンかなんかと勘違いしたように 強火で煽ってくる日差しも どちらも私には強すぎる。 しかし秋の気配を感じた今日は少しだけ寂しい。 はじめての感覚だ。 あんなに夏を毛嫌いしていたというのに。 どういう風の吹き回しかと思う。 去年の梅雨前、エアコンが壊れた。 生まれてこの方冷房のない生活を送ったことがない私は心底やられた。 温度が高いのはま

          はじめて恋しくなった夏へ

          サンサンとカメコ

          この前の台風の時、ベランダで育てているハーブたちを部屋に取り込んだ。 いつもひっついているホオヅキカメムシも入ってきてしまったようで 突然部屋に入れられて迷ったのかしらんが 本棚から下ろした本の隙間をうろちょろしていたところを見つけた。 (虫が苦手な人大丈夫、画像にはいないよ) おいおい、何してるんだ君は と思ったが外は台風。 今逃してやってもあまりよろしい事にはならなさそうだ。 よし、一時避難場所として認めてやろう。 いつも彼女がひっついている一番背の高いバジルに避難

          サンサンとカメコ

          ゲリラ豪雨と洗濯物と梅雨明け

          なんだか最近体も頭も心も重い。 無力感すら感じる。 しかし期限は期限だ。 シャワーを浴びて、図書館に本を返しにいった。 図書館につくと戦争の歴史を振り返る展示がある。そうか。もうそんな季節か。見て回ることにした。 モザンビークには武器をアートに変えるプロジェクトがあるようだ。銃を突きつけられていると思った作品のタイトルは「パンを焼く人」。 私は性善説を信じている。ただ今は世の中を想像以上に悪意に満ちた世界だと感じているらしい。 返した6冊分の本を借りて、外に出ると雨だ。

          ゲリラ豪雨と洗濯物と梅雨明け

          「今年は初夏がある」

          春がないとかいうけれど 今年は初夏がある。 目が眩むほどの緑と空と。 こんな感じで 私の住んでいるところは 初夏を感じる空模様がありました。 ずっとではないのだけれど。 とはいえね。 いろんなところで大雨と聞きます。 地震もありました。 皆様のところは大丈夫でしょうか。 どうかご安全に。 願うこととか寄付とか産直品を買うとか そんなことしかできないけれども ずっと無事を願っています。 大雨の方は 避難経路の確認とか ガジェットたちの充電に あとスーパーの袋とかジップロック

          「今年は初夏がある」

          地獄色のバンズ

          最近少し旅に出ていまして。 その関係で成田空港に行ったら いいですね。食べるところがたくさん。 特になにがいいって フレッシュネスバーガーがあるのは 大変素敵。 ハンバーガーチェーンで好きなのは ドムドムバーガーと モスバーガーと フレッシュネスバーガーなもので わぁこれは嬉しい。 と、吸い込まれるように列に並びまして。 さてどうしようかしら。と一瞬考えて サルサバーガーを注文しました。 いやぁ久しぶり。うきうきしちゃう。 最近胃の調子がよくなってきて ようやく飲めるよう

          地獄色のバンズ

          "I want tortes filled with warm rhubarb compote."

          「プラダを着た悪魔」を久しぶりに見た。 以前、アナログ放送なるものが終了した時に テレビに何にも映らないのもなんなので 延々と流してた映画(PS2をプレーヤーに)。 多分3ヶ月くらいずっと。 いや、言い過ぎか。もう少し短かったか。 個人的には 海外の映画は字幕版で見るのが好きだが ずーっと見ているとセリフも覚えてくるので 吹き替え音声・日本語字幕にしたり 吹き替え音声・英語字幕にしてみたりだ 英語・英語字幕にして自分の記憶力を試したり はたまた字幕をなくして英語のまんま流し

          "I want tortes filled with warm rhubarb compote."

          ありのまま、とは。

          最近図書館に通っている。 10冊が限度だから しっかり10冊借りるのだけれど 毎回貸出期間を延長している気がする。 しかも一旦ペースを崩して 5冊読み終わって返却したりなど 5冊ごとギリギリまで借りて読んでいる。 なんで図書館はあんなに魅力的なんだろうか。 本屋さんに行くのとはまた違う。 空気だろうか、なんなんだろう。 適当に歩いて適当に取った本が まさに今必要なものだったり 前回読んだ本に関係していたり。 偶然かもしれないしそうとも思わない。  図書館に行って本を借りる

          ありのまま、とは。

          大掃除という自己満足

          今年は11月からちょこちょこ大掃除をはじめ 今日ようやくキッチンが終わった。 大晦日に軽く拭き上げくらいはするかもしれないけど、気合いをいれて掃除をしなくてもよさそうだ。 毎年12月の中頃からぬるぬると掃除をしはじめ、多少残したところがあったりしながら、ゆるっと年末を迎えていたけれど。 今年は抜け目なし。 床の拭き上げまでやってしまえた。 大好きな靴磨きは、丁寧に一足ずつ向き合うことができた。 掃除か。 これは自己満足なんだな、と思った。 本来掃除というのは、誰かのため

          大掃除という自己満足

          ロックが好きだと思っていたし

          ようやく泣けるようになってきた。 「生きるだけ生ききりたい」 と、思う。 そうだ、祖父も 「死ぬまで生きるから大丈夫よ」 と言っていた。 そんな至極当たり前の言葉に 笑って泣いた。 そりゃそうだ、それは誰も操作できない。 そして祖父は命を燃やしながら しっかり体力を蓄えようと運動する。 心臓の手術をしたから 無理はできないけれど 自分の足で立てるために 辛いんだろうが少しずつ 動いている。 病室でトイレに行くのはコケても 娘の肩につかまって階段を昇るってのは なんとかや

          ロックが好きだと思っていたし