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10月22日の日記 4DXにより揺さぶられる鑑賞行為者としての〈私/わたし〉概念について

映画を鑑賞する、というのは〈私〉がスクリーン上で行われている出来事を目撃するということに他ならない。スクリーン上で行われる出来事に私は干渉することはできない。そのため、鑑賞行為は必然的に第三者としての立ち位置で行われる(※1)。

さて、映画の鑑賞方法の一つに4DXというものがある。ご存知でしょうか。

4DX®とは、現在、映画業界で最も注目を集める、最新の<体感型(4D)>映画上映システムです。
モーションシートが、映画のシーンに完全にマッチした形で、前後&上下左右に<動き>、その衝撃を再現。 
さらに、嵐等のシーンでは<水>が降り、<風>が吹きつけ、雷鳴に劇場全体が<フラッシュ>する他、映画のシーンを感情的に盛り上げる<香り>や、臨場感を演出する<煙り>など、様々なエモーショナルな特殊効果で、≪目で観るだけの映画≫から≪体全体で感じる映画≫の鑑賞へと魅力的に転換致します。 
通常のシアターでは得ることができない特殊効果によって、映画の持つ臨場感=魅力を最大限開放することができる、アトラクション・スタイルの映画上映システムです。
https://www.unitedcinemas.jp/4dx/

4DXとは、つまるところ映像に応じてシートが動いたりするなどして、視覚での映像体験だけでなく、それ以外の嗅覚とか触覚とかも動員して体験できますよってやつだ。アトラクション的、といってもいい。

4DXにおいて、どのように「映像に応じて」シートが動くか、というのは個々の映画によるがおおむね爆発などの派手な出来事が起きたときに、連動してシートが動く。

ここで問題になるのが、4DX上での私がいったい何者かわからなくなることだ。

映画鑑賞時の〈私〉は徹底して第三者として振る舞い続けられることで、スクリーン上で行われる出来事に入り込むことができる。本来の〈私〉が薄まり、スクリーン上の俳優の動きに集中することができる。

しかしながら、4DXによる「体験」が作用することによって〈わたし〉が強く意識されてしまう。となると、行為者としての〈わたし〉と、鑑賞者としての〈私〉が衝突することにより、違和感が表出することになってしまう。これが4DXによる私/わたしの衝突問題と定義しよう。

注:ここでは、私とわたしを便宜的に使い分ける。私=第三者、わたし=行為者、とする。

なぜ、4DXによって私/わたしの衝突問題が起きるかということについては説明が必要だろう。ディズニーやUSJなどにあるアトラクションは、自分が主体的に関わるようなストーリー設計がされている。USJにあるアメイジング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマンのストーリーは次のように構成されている。(※2参照)

ドクター・オクトパス率いるシニスター・シンジケートは、反重力砲を用いて自由の女神を盗み、降伏しなければ破壊すると脅迫していた。

ニューヨークに拠点を置く新聞会社デイリー・ビューグル社に所属する記者たちは、選択の余地がないと判断し、同社編集長J・ジョナ・ジェイムソンを残し全員が退避する。

そこで編集長ジェイムソンは、ビューグル社が開発した取材用車両「スクープ」に、ゲスト(私たちのこと)を乗車させ、取材のため現場まで向かわせる。

ここで重要なのは、スクープに乗り、ヴィランが暴れ回るニューヨークを目撃する人物は〈わたし〉に他ならないということだ。
スクープが被害を受け、シートが振動するとき、それは〈わたし〉が被害を被っている、というのと同義である。

アトラクション冒頭で、スパイダーマンがスクリーン上において、正面を向き「なぜここに来たんだ」と問いかけるシーンがある。ここで問われる客体はもちろん〈わたし〉のことである。そのように認識できるのは、そのようにストーリーが構成されているからだ。

反対に、一般的な映画ではそうしたストーリー展開にはなっていない。登場人物の一人が「なぜここに来たんだ」と問いかけるシーンがあったのなら、それは〈わたし〉に向けられたものではなく、スクリーン上に存在する別の登場人物に対するものだと了解するのが普通だろう。

通常の映画鑑賞方法であれば、これらの違いはさして問題にはならないが、4DXになると途端に違和感が表出する。〈私〉としての鑑賞とともに、〈わたし〉としての体験をしているからだ。

例えば『シンゴジラ』で、会議の様子をカメラがゆっくりとパンするシーンがある。4DXでは、このパンに応じてゆっくりとシートが左右に傾く、といった演出がされる。

ここで非常に不思議な体験をすることになる。カメラのパンは〈わたし〉がそれを行なっているためにそうなるのではない。はっきりと意識することはなくとも、それが演出上のものであると認識している。というのは、日常生活において、会議を俯瞰でパンするといった動きを私たちは行わないからである。

4DXでは、こうした演出としての動きが、〈わたし〉としての動きに直結されることになる。〈わたし〉はカメラと化すのである。カメラ=〈私〉であるから、〈私〉と〈わたし〉の衝突が起きて問題となる、というわけである。

これを解決するには、ストーリー上の展開をアトラクション的に〈わたし〉に向けたものにすればいいだろう。しかし、映画の主流の鑑賞方法は4DXではない。ストーリーを4DXに合わせることはできない。

・難しいね。



(※1)
第三者としての行為に違和感を持たないのは、映画という媒体がメディウムの一形態として、テレビやラジオと並列のものとして処理されているからではないか。つまり、映画は情報を媒介する機能物として認識されており、そうした機能物はテレビやラジオなどのアナロジーとして自明のものとなっている…的な。

(※2)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3?wprov=sfti1

・これを書くにあたって初めてスパイダーマンアトラクションのストーリーをちゃんと見たんだけど、こんなストーリーだったんだ、と発見があった。

普通アトラクションのストーリーなんて、あんまり気にしない。タワー・オブ・テラーも、なんかよくわかんない人が「乗るな」って言ってるなーくらいだ。その「乗るな」の背景についてまでしっかりと把握したことがない。

アトラクションのストーリーをちゃんと見てみる、というのは面白いかも。

晴れ

(2022/10/22)

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