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6月27日 全力で取り組む

きみはありっちゃありスパークを知っているか。

ありっちゃありスパークとはイラストレーター「室木おすし」とオモコロ編集長「原宿」の二人が繰り広げる、トークラジオである。

「ありスパ」はだいたい本当にしょうもない話(褒め言葉)をしていて、僕はそんな話が大好きなのだが、たまに「いい話」をするときがある。

おすしさんと原宿さんは二人とも子持ちのパパである。どちらの子ども(どちらも娘さんである)も年齢が低く、未就学児もいる(あんまり歳について詳しくないが、たしか未就学児だったはずである)。

そして二人はありスパでたまに娘に関する話をするのだが、これがすごくいいのだ。

ありスパ第68回「父よ、全力でしっぽをとれ」は私がありスパのなかで一位を争うくらい好きな回である。

室木おすしは娘の運動会にて、父親参加型の競技に参加することになる。ゲームは「しっぽとりゲーム」。おすしはしっぽとりゲームを一生懸命やろうと決意した。しかし、決意も虚しく、あっけなくしっぽをとられることになってしまう。負けてしまった室木おすしは「まあ、こんなもんか」と思いそのゲームを終えたのだった。

しっぽとりゲームを終えたあと、なにやら物凄く気合いの入った父親がいることを知る。奥さんから聞いた話だと、二階席からしっぽとりを観戦していたママ友のなかで、「すごい動いているお父さん」がいたということで盛り上がっていたらしい。

おすし:めちゃくちゃ動いている人がいて、その人は始まる前からすごかったって言ってて。

原宿:始まる前?

おすし:ピーって鳴る前にもう入念に準備運動してたんだって。

原宿:あ、もうほぐしてたんだ。

おすし:腱をぐいぐい伸ばしてて、ぴょんぴょんジャンプして……。もういったろーって感じでやってて。で、その人に話聞いたら、どうやら娘さんが一人しかいなくって、だから幼稚園で最後の運動会なんですよ、年長さんだから。だから、この最後の運動会お父さん絶対活躍したいと思ったんだって。

原宿:いいねえ。

おすし:いいでしょ。もう本気も本気でやってたの。おれが本気と思ってたのは全然本気じゃなかった。その人に比べたら屁みたいなもんだったの。それを聞いたときに、「えーっ」と思ったんだけど、なんかその、一分後くらいに、その話を聞いた一分後くらいに涙が出てきちゃって。なんか、あっ、と思って。おれ全然そんなこと考えてなかったと思って。おれだって年長さんの娘の最後の運動会だったのに。なんでおれなんにもそんなことすら考えてなかったのかと思って。おれ冷蔵庫開けっ放しでちょっと泣いちゃったの。

この話いいなーと思う。本気を出すお父さんも、中途半端で終わってしまったお父さんもどちらもいいなあと思う。

こういう話をたまにするありっちゃありスパーク、Youtubeあるいはオモコロで聞けるので、ぜひ。ちなみにこの話のあとはしっぽを絶対にとられないようする鉄壁のフォーメーションについて喋っています。

(68回がいいと思った人は89回「入学式、父からの『じゃあね』」もいいですよ。)

漢字で書ける文字をあえてひらがなで書くことを「ひらく」という。僕はこの「ひらく」行為が好きだ。
このひらきにはルールが定められていたりいなかったりするが、僕は自分ルールでひらくかどうか判断している。
そのなかでよくするひらきを紹介しよう。

俺→おれ

〜する時→〜するとき

〜している間→〜しているあいだ

言う→いう

こんな感じだろうか。ひらくことによる利点は、文章が読みやすくなって、やわらかな印象があることだろう。漢字ばかりで構成された文章は堅苦しい。だから極力漢字を使用しないように、文章を執筆する傾向がある。みんなもおきにいりのひらきを見つけてください。

『るん(笑)』を読んでいる。

この小説のなかでは、似非科学やスピリチュアルは科学より権威づけられている。「科学」は完全に貶められ、嘲笑の的になっている。

「間違ってるんだ、こんなの。科学的におかしいのが――」
「でたっ、科学的に」誰かが言い、どっと笑い声があがった。
「まだいるんですなあ」藤巻さんが物思わしげに呟く。
(…)「たぶん余時者ね。時間が余りすぎるとろくなことを考えない」岡林さんが顔を左右に振る。
「鳩や鼠の餌やりに苦情を言う人たちとおんなじ」
「彼らのことは、憐れんでやりましょう。それらの小動物が、かつての、これからの自分かもしれんということを感じ取れんわけですよ。いまみたいに大きな戦争も災害もない平和で安全な世の中があたりまえになると、輪廻を捉える器官が麻痺してしまうんですな」
「高次元に旅立つならともかく。平和すぎるのも問題ねえ」
「輪廻の麻痺って脳の蟠りのせいだとも言うじゃない。携帯電話の使いすぎなんだよ。親切な武田さんも仰ってたけど、ほんとは一日に三分話すのも危ないんだって。まあ、小さな電子レンジだもんね。裏に御札やバッジを貼っていても十分がせいいっぱい」
『るん(笑)』36p(DMMブックス)

この世界では、仲の良い知人友人家族が話していた(らしい)「体に良さそう」なことが推奨される。そこでは科学的なエビデンスは必要とされない。信頼している人間が言っていた。これで十分である。

「これは、あれだ、飲んではいかんって、たくさん死んどるって山久さんから聞いたのと同じクスリじゃないか」という声が聞こえてきた。左端にある薬の受け渡しカウンターだ。そこからは長い列ができて壁で折り返している。
「ですから、先程も先生から説明があったと思いますが、きちんと用法用量を守っていただけば問題は――」
「山久さんが嘘つきだというか?」
『るん(笑)』199p(DMMブックス)

やまいだれが忌避され、病院は丙院と読む。死や癌は忌み言葉なので決して言葉に出されることはない。39度は平熱である。体調が悪ければ千羽鶴を折れば必ず良くなる。なぜならそこには人の祈りがあるから。

この小説は日常の延長線上にある、と感じる。一歩間違えれば私たちはこのような世界を生きていたのではないかと思わせるような、嫌な現実感がある。その意味でこれは恐怖小説である。作者の酉島伝法はこのような嫌な非現実を描くのがうまい。

機嫌:晴れ
『るん(笑)』

(2022/06/27)

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