2021年12月14日(火) 人と動物と、あと地球外生命体/理想の街/バイト/十字軍(2)/世界史とは何か

 口内炎が痛いよ〜〜!経験則として口内炎は痛みがピークを迎えたあとすぐに消えていくので、もうこの口内炎の寿命も短いのだろう。

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 犬や猫などの動物が人間に利するような行為を行なったとき、「賢い」と評される。例えば、うんこを所定の場所でするみたいな。しかしこれはかなり人間中心的な見方で、犬や猫にとってはまったく意味不明だろう。そもそもうんこが汚いという観念すらないし、彼らが生活する空間は人工的な環境である。もし人間と動物が立場を逆にしたとき、我々はどう振る舞うのだろうか。動物たちの要求はかなり理不尽なものととられる可能性がある。
 動物の行動を賢いと評することは、人間が人間に対して賢いと評することと必ずしも同じではないということを考えなければならない。動物にとってみれば、動物らしく振る舞うことは動物自身にとって本当の賢さである可能性があるのだ。
 もちろん、人が動物に対して賢いと思うとき、上にあげたような行為だけを賢いとするのではない。例えばチンパンジーが道具を使って食べ物を取り出したりするような行為は人間にとって有益なこととは離れているがそれでもやはり賢いと感じる。しかしこれもまた、人間中心的な見方が入っている可能性がある。そもそも賢いとはなんなのだろうか。人間にとってまったく理解不能な行為、言い換えればそれをすることの動機や利点が見当たらないと思われることに対して人は賢いと思えるだろうか。

 そういう問題意識に沿うピッタリな本がある。フランス・ドゥ・ヴァールの『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』である。

進化の末に、動物は「賢さ」を獲得した。
それは人間も、サルも、カラスも、イルカも、タコも、みんな同じである。
われわれは自分たちだけが賢いと思っていないか?
心理学との境界線を行くユニークな動物研究の分野を開拓してきた著者が、動物行動学の歴史から最新の研究まで、豊富な事例を示すとともに読者へと問いかける。ドゥ・ヴァールが新たに提唱する「進化認知学」とは――
人間中心の科学から脱却し、動物の認知とは何かを見つめなおす。

 紹介文によると豊富な事例により動物の認知を解き明かしていくようだ。読んだことがないのでこれ以上は言えない。読みたいな。

 賢さの評価の限界と関連して、他者理解不可能性について考察した本もあげておこう。木村大治の『見知らぬものと出会う』だ。

 この本は読んだことがある。人間は挨拶によってコミュニケーションを図るが、チンパンジーはどのように挨拶をするのだろうか。それは「パント・グラント」と呼ばれる特有の音声をともなった挨拶や、毛づくろいによってなされる。
 さて、我々が野生のチンパンジーに出会ったとき、上記のような挨拶をしてきたときそれを挨拶だと認識することはできるのだろうか。いや、そもそも人間の挨拶にも実は多様なものがあり、他地域のそれは私たちが住んでいるものとは全く様相が異なっている可能性がある。それを私たちは挨拶だと認識できるのだろうか。
 いわんや地球外生命体とのコンタクトは同じくできると思えるだろうか。SFには多様なファースト・コンタクトものが描かれてきたが、現実でもそのように地球外生命体を理解することができるのだろうか。
 地球外生命体があまりに異質だったとき、挨拶どころか存在すら認知できないかもしれない。その交信不可能性について描いたSFもやはり存在していて、その代表的なものはスタニスワフ・レムの『ソラリス』であろう。

テッド・チャンの『あなたの人生の物語』、およびドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ」も同じように異質な存在が人間という存在とかけ離れているかということを描いている(ただメッセージはソラリスほどに地球外生命体の思考様式を理解困難なものと位置付けていないように思えるが)。

 『見知らぬものと出会う』は、そうしたSFを手がかりに、異質な他者とのコミュニーションの成立可能性について考察している。

「宇宙・人」を考えるということ自体がまさに、想像できないことを想像しようとする営為なのだ。さらに言えば、よりわれわれに身近なはずの「他者」さえも、同様な構造を持っている。「他・者」とは、私の手の届かない「他」であると同時に、石ころなどの「物」とは異なる、私と同質の「者」でもあるのだ。本書では、一般に「コミュニケーション」とか「相互行為」と呼ばれる「他者」とのかかわりあいを、宇宙人に対するさまざまな想像をモチーフとして考えていく。(3頁)

 こうしたことを考えると地球外生命体と出会ってもなにもできることがないように思える。本当にSF的というか、陰謀的だがすでに地球には地球外生命体が存在しているかもしれない。しかし我々はそれをそれとして認識できないしコミュニケーションもできないのだ。
 『見知らぬものと出会う』の結論はどうだったのか。それを書くにはもう一度読みなおさければならずそんな時間もないのでここには書かない。なんとなく覚えているが嘘を書くわけにはいかないので。またいつか気が向いたら書こうと思う。

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 髪が伸びすぎて鬱陶しいよ〜〜

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 日記なのにぜんぜん日々のこと書いてなくない?
なんかもっとその日食べたものとか行った場所とか書くんじゃないの普通は。

 でも特に珍しいものを食べたわけじゃないし、外にも出てないからなあ。書くことがないんだよね。

 見たYoutubeでも書くか。

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