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10月11日 美術館に行く理由

先月末、六本木にある森美術館に赴き、「地球がまわる音を聴く」展を見てきた。

詳しい感想はまた後日の日記に書くつもりなので、いったん置いておいて、今日は美術館の効用について話してみたい。

さて、人はなぜ美術館に行くのだろう?

『美術館って、おもしろい!』には、人がどういった目的で美術館を訪れるかについて書かれている。

教養をつけるためとか、静けさをもとめてとか、デートの口実とか。展覧会には多くの人間が集まるが、その実いろいろな目的で集まっていることがわかる。同じ絵を鑑賞していても、目的の違いによってまったく別の見方がされているかもしれない。

『美術館って、おもしろい!』より

私はというと、いくつかの目的がある。

まず静けさを求めて。ただこれは、休日の人気な展覧会とかだと達成されないことが多い。だから美術館は平日に行くほうがいいと個人的には思っている。

次に、安心感を得るという目的もある。

美術館で展示されている作品の中には、全く理解できないような作品が展示されていたりする。また、なんでこんなことしたの?と疑問に思ってしまうような作品もある。

そうした、訳のわからなさに触れていると、どこか安心する。

現代社会に生きていると、常に効率化が求められているような感じがする。効率化の波は自分の身体に深く染み渡っていて、少しでも無駄な時間を過ごすと、「もっと有意義なことができたのに」と思わず悔いてしまう。

自分は自分のことを怠惰な人間だと思っているが、その怠惰な人間であるという認識それ自体も、怠惰に対置される勤勉のようなものを想定している。そして勤勉さは良いことだと認識している。つまり、わざわざ「怠惰」と否定的なニュアンスをもつ言葉を用いるのは、それが悪いことだと思っており、改善されるべきものだと思っているからである。

美術館にある作品は、そうした効率のものさしを転回させるような力があると思っている。

「地球がまわる音を聴く」展で展示されていた、ギド・ファン・デア・ウェルヴェの作品を例にとってみる。

「第13番 3つの逃避による感情的貧困 逃避c、「あと半日もすれば」はいつものこと」は、ファン・デア・ウェルヴェが自宅兼アトリエの周りを12時間ぐるぐると走り続けた様子を記録した映像作品である。

実際の作品を見ればわかるが、ただ走り続けている様子が映し出されているだけの作品である。しかも家の周りをぐるぐる回っているだけだから、一見するとなんの変哲もない、軽い運動をしているだけのように見える。それが12時間にも及ぶものであることは、右下の時間を示す表示を見なければわからない。

このなんでもないような作品が、自分にとっては果てしない癒しを持つように感じる。

家の周りを12時間走り続ける意味がわからないし、どうせ走るなら同じところを回るのではなく、もっと遠い場所に行けばいいのにとか思ってしまう。

しかし、そうした種々の(野暮な)疑問は、「別にそんなことは問題じゃない」と言うかのように、跳ね除けられる。現に作品として存在しているのだから。

このように、一見ナンセンスのように感じることが美術として注目されていることは自分にとって安心感をもたらす。別のものさしでも生きることができるということを示されているような気がして。


そんな感じで、美術館には静けさを求めたり、安心感を得たりするために行っている。これらの目的から、作家は必ずしも重要ではないことがわかるだろう。だから、自分は有名作家の(フェルメールとか)展覧会はあまり行かない傾向にある。(混んでるし)


いやあしかし、月末に美術館に行くというのはいいものだと思った。

これからそうしようかな。今月末はどこに行こう!

晴れ
『聞く技術 聞いてもらう技術』

(2022/10/11)

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