![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83437192/rectangle_large_type_2_453d3e8df91e8086c2c3262b1123e3e0.jpg?width=1200)
7月26日 『京都の平熱』/人間の不完全性について
京都→東京ときてなんだかリズムがいい感じになってきたので、今日は京都に関する本を紹介したい。
ということで今日の紹介本は『京都の平熱』。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83437207/picture_pc_b5a081c7b021bb9f5b767bfdcd8e32bc.jpg?width=1200)
著者の鷲田清一は哲学者で、代表的な著作に『モードの迷宮』など。ファッションに関する研究をおこなっており、私自身は『ちぐはぐな身体』を読んだことがある。なぜ人はありのままの身体をそのまま提示することなく、服で飾る必要があるのかということを論じた本で、面白かった記憶がある。
そんな哲学者である著者が、生まれ育った地である京都について語ったものが本書である。
著者は京都のバス206番の順路で街を紹介していく。206番は京都駅から出発して東に進み、やがて北に曲がり、そして西に曲がり……といったように京都市内をぐるっと一周して最終的に京都駅に帰ってくる路線である。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83437262/picture_pc_e7a0444db8695c411515149efc23a90c.jpg?width=1200)
京都の花街や、旧遊廓、ラブホテル街も、大きいところはみなこの路線沿いにある。五条楽園、宮川町、安井、祇園、岡崎、上七軒、五番町、島原などなど。八坂神社、岡崎、加茂川、平野神社の桜、北野天満宮の梅と、花見の場所にもことかかない。そして大学。東まわりに京女、華頂、芸大音楽学部、京大、工繊、ノートルダム、府立大、大谷、佛大。龍谷といったぐあい。同志社、立命館も路線から二駅ばかり。学問所はほとんどここに集中している。
観光地としての京都の街でなく、著者の独自の視点で描かれる京都は魅力的で面白い。
京都の独特な街並みは、京都の人たちにも影響を与えているらしい。京都に表出している世界とは別の世界(autre monde)につづく孔があるという。
京都は「歴史都市」だというのは根本的にまちがった判断ではないかと思っている。というか、京都の住民ほど歴史意識が希薄な人種は珍しいのではないかと思っている。想い出を夢と混同したり、希望を過去の痕跡と取り違えたりする。そういう一種の時間感覚と歴史意識の欠如が、古いお寺や町家の佇まいに幻惑されて、「歴史的」という気分にすりかえられているだけのことではないのか、と。あるいはひょっとして、一部の地域における佇まいの変化のなさが、逆に歴史意識の覚醒を禁じているのかもしれない。
一般になにかについて「らしさ」を問うときというのは、それがなんであるかというアイデンティティが弱体化して、それがかつてもっていた独自のイメージがぼやけ、見えにくくなっているときである。たとえば、男性が従来のイメージからして十分に「男性的」であるときには、だれも「男らしさ」とはなにかと問いはしない。「男らしさ」が問われるときというのは、男性が本来もっている(はずの)属性が揺らぎ、ほとんど消えかかっているときである。そして「京都らしさ」、それについて問うときにも、やはり同じことが起こっているのだろうか。
ワンポイント・チャームという言葉があるが、これは褒めるところがあまりないとこに、無理してなにか褒めるべきところを探したときに出てくるものだ。ほんとうに魅力的な物や人には、そんなチャーム・ポイントは探す必要がない。圧倒的な存在感があるだけだ。そういう意味で、京都という街には、その名のとおり「都市の華」のようなところ、都市のなかの都市というところがある。都市としての壁やチャネルが多く、奥行きと重層性をもっていて、どこからめくっても都市としてのそれなりの顔が見えてくる。
問題は(…)クリアな京都イメージが、すべて内実がともなわくなっているという事実だ。外からのイメージは確固としているのに、内から見た実像がずいぶんぼけてきている。かつてはそのずれこそが誇りだった。「京都はおたくらがおもたはるようなもんやおへん。まだなんにもわかったあらへん……」偉そうに心の底でおもっていたのが、近頃はそれが不安の種になりだしている。
私自身は別に京都出身でもないし、大学時代に通っていた場所が京都なだけであったから、本書に書いてあるような京都の思想を持っているわけではない。しかし、本書にあるような京都に対する思想には、同調できるような部分も多い。京都思想がほかの街にもあればいいのでは、とも思うが、この思想が醸成されたのは街の独特な構成や歴史に依るところが大きく、そのために京都思想が特異なものとなっているのだろう。
ディープな京都、京都論が気になる人は買ってみてはいかがだろうか。
…
ニューヨークタイムズで、コラムニストが過去自分が書いた誤りについて、それを誤りだと認め、見つめ直し、なぜその誤りが起きたのかを問う特集(?)が組まれていた。
こういう、自分の誤りや間違いを素直に認められる仕組み、いいよなと思う。
マスメディアも間違うことがあるということを一旦認め、その誤りをできる限りなくしたり、訂正したりする機会を設けたりするにはどうすればいいかといったことについて、もっと考えた方がいいのだろうと思う。
この、人間の不完全さをいったん認めることってすごく大事だよなと思う。でもインターネットなんかをみているとそれができていない人は存外多いような気がする。
でも、人間の不完全を認めないと息苦しくないですか。人間の完全性を希求すれば希求するほど、自身の不完全さが強烈な違和感として表出するだろうから。
人間よ、人間には期待するな。
…
晴れ
『京都の平熱』
(2022/07/26)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?