7月26日 『京都の平熱』/人間の不完全性について
京都→東京ときてなんだかリズムがいい感じになってきたので、今日は京都に関する本を紹介したい。
ということで今日の紹介本は『京都の平熱』。
著者の鷲田清一は哲学者で、代表的な著作に『モードの迷宮』など。ファッションに関する研究をおこなっており、私自身は『ちぐはぐな身体』を読んだことがある。なぜ人はありのままの身体をそのまま提示することなく、服で飾る必要があるのかということを論じた本で、面白かった記憶がある。
そんな哲学者である著者が、生まれ育った地である京都について語ったものが本書である。
著者は京都のバス206番の順路で街を紹介していく。206番は京都駅から出発して東に進み、やがて北に曲がり、そして西に曲がり……といったように京都市内をぐるっと一周して最終的に京都駅に帰ってくる路線である。
観光地としての京都の街でなく、著者の独自の視点で描かれる京都は魅力的で面白い。
京都の独特な街並みは、京都の人たちにも影響を与えているらしい。京都に表出している世界とは別の世界(autre monde)につづく孔があるという。
私自身は別に京都出身でもないし、大学時代に通っていた場所が京都なだけであったから、本書に書いてあるような京都の思想を持っているわけではない。しかし、本書にあるような京都に対する思想には、同調できるような部分も多い。京都思想がほかの街にもあればいいのでは、とも思うが、この思想が醸成されたのは街の独特な構成や歴史に依るところが大きく、そのために京都思想が特異なものとなっているのだろう。
ディープな京都、京都論が気になる人は買ってみてはいかがだろうか。
…
ニューヨークタイムズで、コラムニストが過去自分が書いた誤りについて、それを誤りだと認め、見つめ直し、なぜその誤りが起きたのかを問う特集(?)が組まれていた。
こういう、自分の誤りや間違いを素直に認められる仕組み、いいよなと思う。
マスメディアも間違うことがあるということを一旦認め、その誤りをできる限りなくしたり、訂正したりする機会を設けたりするにはどうすればいいかといったことについて、もっと考えた方がいいのだろうと思う。
この、人間の不完全さをいったん認めることってすごく大事だよなと思う。でもインターネットなんかをみているとそれができていない人は存外多いような気がする。
でも、人間の不完全を認めないと息苦しくないですか。人間の完全性を希求すれば希求するほど、自身の不完全さが強烈な違和感として表出するだろうから。
人間よ、人間には期待するな。
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晴れ
『京都の平熱』
(2022/07/26)
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