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ALL BY MYSELF

数か月放置していた。書きたいことができたので書こうと思う。
この話題をnoteで書くか、すごく迷った。
趣味ごとにTwitterのアカウントを作成しているような私にとって、noteは趣味という切り口にとらわれずに自分をさらけ出すことができる場所だ。趣味を出した瞬間、「〇〇が趣味の人」としてカテゴライズされるのが嫌だった。

それに、色々あって、本当にいろんなことがあって、私自身もこの趣味を続けていくか、続けてよいのか、たくさんたくさん迷った。今も答えは出ていない。ずっとぐるぐると考え続けてパンクしそうになった。
この場所はそんな時に作った逃げ場でもあって、だからこの趣味をここで明らかにするか、本当に迷った。この半年、この趣味を明らかにしたときの周りの反応も怖くて、素直に「私の好きなもの」として開示することを避けていた。

どんな私も私で、「私自身」を綴っていきたいと思って始めたこのnoteだからこそ、一回も触れないというのは自分に不誠実なことだと思う。「〇〇が趣味の人」としての私だって私なのに、なかったことにはしたくなかった。

本題に移る。とにかく私にはそういう趣味があって、4月、相模大野の地に降り立った。
公演名は、『ALL BY MYSELF』 。
感想は散々Twitterに垂れ流したので、ここではタイトルについて、つらつら考えたことを綴っておこうと思う。

ALL BY MYSELFという言葉について考える。
直訳すると、「全て自分自身で」。By myself「自分で」という言葉をより強調した、「たったひとりで」「何から何まで自分で」といった「孤独」のニュアンスが強い言葉だ。

スターは孤独だ。

主演の方は、常々「みんなで」「お客様のおかげで」という言葉を多用し、スターとして0番に立っていながら、自分一人ではここまで来ることはできなかった、と話す、とても謙虚で思慮深く、思いやりのある優しい方だ。

けれど、やはりスターは孤独だと思う。ALL BY MYSELF(以下、ABM)には、舞台後方が鏡張りになっており、客席にいながら、舞台上に立つ方々の背中を目にすることができる。

鏡に映る、ひとりスポットライトを浴びる彼女の背中は、私の目にどこまでも「独り」として映った。

広い広い舞台をたったひとりで埋めることができる、スターとはそういう人であり、だから孤独なのだと思う。

ABMは、主演の方のこれまでの役者人生を、架空の人物ブルームという役者の人生となぞらえ、振り返っていくストーリー仕立ての公演だ。

彼女が今の立場に立つまでに、18年、たったひとり、ひたすら努力し、確かな技術を積み上げてきた、そんな人だからこそ、今、たくさんの人を前に、たくさんの仲間に囲まれ、輝きを放っているのだと思う。

舞台は主演ひとりで成り立つものではない。だから、こうして公演名にALL BY MYSELFという言葉があてられていることに、驚く気持ちもある。
しかし、常々コツコツとひとりで鍛錬に励むこと18年、その集大成としてのリサイタルという場で、彼女自身のこれまでを称えるようなこの言葉は、最高の賞賛であるように思える。

一生の思い出として抱えていきたい、素敵な公演をありがとうございました。
10月13日のその日まで。

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