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2021年6月 雨に濡れながらあるく

 最後の晩餐、その言葉からは日影の湿った臭いと乾燥した砂埃の臭いがした。横並びの食卓、喜怒哀楽のどれでもない宴、テーブルの上にあるのが最後の晩餐的な物である。ところがその机上物が思い出せない。山盛りの葡萄な気もするが、木の器に入ったスープかもしれない。五十肩以降、老眼も進み、階段昇降で息切れし、記憶の不確実にも慣れた。特に短期記憶の消失だが、過去の記憶も信じがたい。十年以上前に薄暗い中で見た淡い色の最後の晩餐は、横並びの食卓とだけ記憶していた。
 私の五十肩のリハビリの担当が変わった。「ここの筋肉が固まっています」と肩甲骨の奥の淀みを女の華奢な指が見つける。指の圧力が筋肉を通じて脳みそを叩く。「筋肉の繊維をほぐしますね」
 とはいえ、五十肩はゆっくりとではあるが、着実に治ってきていた。腕が上がる。とはいえ、担当という人間の入れ替わりよりも、私の細胞や筋肉の回復の方が遅いとは情けない。

羊と豚_5月

 ミラノのカビ臭い食卓に並ぶはパンと赤ワイン、そう仮定してみた。肉と血である。そうに違いない。食卓にはパンと赤ワインが並んでいる。私は血液検査の結果、小麦アレルギーであることが分かっている。パンは最後の晩餐としては却下。また一方で、私は体感的に葡萄の皮にアレルギーがあることが分かっている。赤ワインを飲んだ翌日は唇が荒れ、舌の根元から喉の奥にかけて痒む。赤ワインも避けたい。
 いや待て。最後の晩餐である。最後とは、最期だろう。もうアナフィラキシーショックには怯えなくていいのではないか。パンとワインにしよう。いや待て。食べるのは昼間、ランチである。ワインはやめておこう。私には自分に課したルールがあり、年収が三千万円を超えるまでは昼酒はしないようにしていた。三千万円は遥か彼方である。そのルールは間際になっても守りたい。ではパンを食べよう。最後の最後には小麦を解禁しよう。
 パンにするなら、それはアメリカンクラブハウスサンド以外には考えられない。手間と満腹の一品である。小麦アレルギーを知るまでは、月に一度は自作か外食かしていた。暇があればネット検索をしていた。最後に相応しい。
 私は豪華なサンドイッチを持ってダビンチの絵の食卓の隅に座ってみる。どうも似合わない。よそ者感しかない。埃っぽい臭いがサンドイッチに埃をつける。湿っぽい臭いが凝ったサンドイッチと全く合わない。では、では、では。私は目を閉じた。舌に強烈な塩味が乗ってくる。それはスパムの塩味だった。スパムサンドならどうだろう。それも薄いパンに薄いスパム。できればパンはカリカリに焼きたいし、耳を落としたいが、こだわるつもりはない。真っ白い食パンよりは、全粒粉のような褐色の方が好ましいかもしれない。できればスパムは表面だけカリカリに焼きたいが、缶から出したままでも構わない。千切ったレタスやスライスしたキュウリがなくても、気にならない。トマトはスパムには合わない。ソースの類はスパムには不要である。薄いパンと薄いパンの間に挟まれた薄いスパム、それが私の最後の晩餐的ランチのためのスパムサンドである。

 私はスパムサンドを銀紙に包み、それを左手に持って家を出た。上がらない方の手である。飛行機、電車、トラムと乗り継いで、ミラノのダビンチの食卓の前、砂だらけの教会の地面に座った。と言いたいところだが、現実とは妄想よりもスケールが小さいものである。私は歩いて近所の無人駅に行き、誰もいないホームで3、4人がけの木製長椅子に座った。もちろん端に座った。その椅子の端、つまりミラノのダビンチの食卓の端で、サンドイッチの銀紙をほどいた。そのとき上り電車がやってきた。私は銀紙をまた戻し、下り電車を待っているフリをした。電車がホームに入り、ホームから出ていくと、銀紙をほどき、小さく一口、サンドイッチを噛み、また銀紙を閉じた。これが私の最後の晩餐的なランチである。

 リハの新担当はグイグイとピンポイントで筋繊維をほぐしながら、興味なさそうに私の「最後の晩餐的なランチをたべる」のエピソードを聞いていた。問題を知らないのに答えを説明されているわけだから、当然のリアクションだろう。彼女は沖縄出身なのだろうか、スパムだけが会話を進めた。
「スパムなら断然、スパム握りが好きです」
「私も普段はスパムにはお米を選ぶところですが、そこは最後の晩餐ですから。冷静な判断をしろって方が無理なんです」
「最後ですもんね」
「最後ですから」
 リハからの帰り道、旧担当からメールが届く。「雨に濡れながらあるく」正に今がそうである。雨が降っていて、傘を持っていない。

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