11 住み続けられるまちづくりを

 三十一日深夜、着物を着て出かけた。と言っても着物なのはスイーツ女子たちだけである。和風でない顔立ちにも和服は良く似合っていた。彼女たちを初詣に誘うと、隣駅にある業界大手の大社に行きたがった。ずらりと並んだ露店はきっと彼女たちの心を掴むことは分かっていた。それでも何とか地元で年越しをと説得した。駅員が、着物のレンタルと着付けを手配することで、彼女たちのテンションは一段と高まり快諾した。これがわたしの11番活動である。”住み続けられるまち”を目指し、町おこし。地元でのカウントダウンと初詣。一年の終わりと始まりを賑やかに。ところが我が駅の神社は何年も前から閉まっていた。迷うことなく勝手に借りることにした。わたしは三日間、テント持参の泊まり込みで掃除をし、外見だけを整えた。今、神社の前の広場には、折りたたみ式のテーブルとパイプ椅子が並び、二十人ほどが一斗缶の焚火とランタンの光でカウントダウンを待っていた。町の人たちにも声をかけると、スイーツ女子の着付けを手伝い、食や酒を持って集まってくれた。座の全員が顔見知り、スイーツ女子以外は全員がわたしよりも年長だ。焚火にあたり、升で日本酒を飲む。多国籍娘に頬を緩める。ここにいる誰かが作ったコンニャクに、ここにいる誰かが作った味噌を付けて頬張る。濁った日本酒もここにいる誰かが作ったものである。口の中の上側を火傷した感触すら悪くなかった。ペルー人の音頭で、スペイン語でのカウントダウンの練習が続いた。誰もが上機嫌だった。夜空に酔ったハイテンションの声が響く。酔った年寄りは三からですら覚えきれなかった。グダグダと笑顔で年が明けた。明けましておめでとうございます。
 スイーツ女子たちはお互いに写真や動画を撮りあい、世界中に発信をはじめた。ここは電波の範囲内のようだ。日本は世界的に見て時間が早いので、彼女たちの祖国はまだ去年であり、未来を自慢しているようだ。やがてテレビ電話をする人も出てきた。わたしは年長者たちとグローバル社会と若いエネルギーを眺めていた。
 ルーマニア人に呼ばれ、彼女の妹との電話に参加した。思春期特有のふくよかさのある美人で、若さゆえ許される謎のアニメキャラクターもののパーカーを着ていた。東欧からの電波で家族はいないのかと聞かれた。バツイチと答える。日本好きの彼女は”バツイチ”を解したようだ。男は諦めが肝心だと言われ、次を探せと励まされ、友達を紹介すると言われた。わたしはその約束に期待することにした。
 お年玉を配ります、と大声をあげた。説明するまでもなくスイーツ女子は”お年玉”を知っていた。駆け寄って来て、目を見開いて手を出してきた。和服が似合っても奥ゆかしさには程遠かった。集まった全員を一列に並ばせた。老人たちも初めてもらったと、嬉しそうだった。無職のわたしからのお年玉、もちろん中身は大した額ではない。自作のぽち袋に入れた五百円玉二枚、家の壺から探し出した。いつも世話になっていることに比べたら本当に雀の涙だった。わたしは彼女たちに雀の涙の意味を説明した。散会すると、スイーツ女子とわたしは駅員に挨拶に行った。みんなで写真を撮った。わたしも上機嫌で写った。この写真がわたしの人生を動かすことになる。

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