2 飢餓をゼロに

 この町には徒歩圏内に年末年始の買い出しに耐えうる店はない。わたしは町の外へ出るための車を持っていない。お互い、身の丈に合った町である。駅員に挨拶をして西へ一駅、電車に乗った。山間を抜けると商店街や大型店舗のある町についた。都会ではないが、年末の慌ただしさで賑わっていた。新幹線と富士山と建物と空、緑色や茶色のない世界、信号待ちという行為は久しぶりだ。わが町にも信号機はあるが、交通整理すべき車や人が少なく、交差点で確認するのは赤青ではなく左右の様子だった。車が目の前を横切っていくのを眺め、脳の変なところを刺激する信号音に耐えた。
 隣町までの買い出しには不便を感じはするものの、”飢餓”には程遠い。今回は2番の”飢餓をゼロに”を選んでいた。東京から越してきた一年目に準備なく年末年始を迎え、食料難になったことを思い出し、それを”飢餓”と拡大解釈した。そして今日の買い出しを2番の行動とみなしたわけである。年末年始に必要なもの、煮物と漬物、蕎麦と餅、煙草と珈琲。煙草と珈琲、冬の山ではこの二つの嗜好品が欠かせない。カフェインとニコチンが血液に染みる。蕎麦と餅、手作りする凝り性はなく、既製品を購入。縁起物であり、季節のもの、単純に美味しい。煮物と漬物、これは自作、野菜と肉を買い込んだ。白菜は4個、日本式と韓国式で半分ずつ漬ける。両手いっぱいにビニール袋を下げ、上り電車で小屋に戻った。大量の買い物に慣れていなかったため、バッグの持参を失念し、レジ袋を購入してしまった。何番に当たるか分からないが、きっと反SDGsである。日々の行動に意識が行き届いていないと、つい反してしまうのがSDGsだ。

 小屋に戻って大量に買った鶏肉を見ると、自分の半端さを思い出し、うんざりした。わたしの不法占拠している土地の山側の奥の隅、そこに小石を20センチほど積み上げた小山がある。食料にできなかった鶏の墓である。食料の自給自足の挫折の証である。この町に越してきて、人に会うたびに身の上話をしていると、野菜や魚をくれる人たちがたくさんいた。ある日、鶏の卵をもらった。有り難く受け取った後、育てて食べればいいと言われて衝撃を受けた。受け取った瞬間に頭に浮かんだのは茹で卵と塩だった。それが鶏になることは忘れていた。いや、知らなかったと言っていいレベルに、二つを切り離していた。卵から鶏に育てて食べる、自給自足という言葉に少し興奮した。ネットで調べ、育て方も潰し方も分かった。しかし孵化まで37度を保つのが難しい。暇だったので、つきっきりでお湯で濡らしたタオルで温めていたところ、5個中3羽、ヒヨコが生まれた。小屋の外に簡単な囲いを作って育てた。1羽は行方知れずになり、2羽は食べごろになった。しかし目の前の生き物とササミや手羽先が結びつかなかった。潰すきっかけがなかった。殺生にはタイミングが必要なのだ。祝祭で山羊を一頭食べる習慣を聞いたことがあるが、それはきっとそういう日でないと殺生への抵抗感の方が強いからだ。体温と柔らかさと真っ直ぐな瞳、簡単に越えられる壁ではない。2羽はそのうち寿命で死んだ。

 薪燃料問題には良いニュースと悪いニュースがあった。悪いニュース、薪は乾燥させないといけなかった。わたしは森から木を切ってきて燃やしているわけではなく、切ったまま放ってある木をもらってきている。ある程度は乾燥されているはずである。現に燃えているし、暖かいし。乾燥が十分であれば、煙と臭いが出ないらしいので、乾燥不足だろう。乾燥は一年以上、今さらどうしようもない。無知だった自分を恥じつつ、それでも暖を取れているので、そんなに悪いニュースでもなかった。
 一方で良いニュース、木は永久に生きることがないので、薪にして燃やさなくてもいずれ二酸化炭素に戻ってしまう。つまり燃やしても燃やさなくても、二酸化炭素としては問題なし。森が保たれていれば、薪は二酸化炭素が循環するだけのクリーンなエネルギーである。鶏であろうと薪であろうと、限りある命がゆっくりと火を消していくのを見守ってはいけない、使えるものは使えということか。高尚というより、人間のエゴが極まった思想だ。暖炉に薪を足した。鶏は食べられなかったが、薪は燃やせる。

 今年最後のSDGs行動、白菜を日本式と韓国式で1樽ずつ漬けた。保存食は腐って捨てることがなく、芯まで食するので無駄もない。発酵で栄養価が高くなっている。恐るべき漬物のSDGs合致度である。良いお年を。

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