14 海の豊かさを守ろう

 晩夏の夕暮れ、スシと白ワイン、異国の若い女たち、至福の時間である。駅員の若い男は電波の来ないスマートホンと空を交互に眺めている。ここは山奥の私有地、電波を整備しようと考える人などいるはずがない。わたしは久々の労働の疲れとアルコールで脳が半分休んでいた。四方八方を木に囲われた空間に外国語が飛び交い、五人の若い女が徐々に闇に馴染んでいく。火をおこすとまた五人が浮かび上がってきた。

 14番は海の資源を持続可能に利用していくこと。迷わず海の豊かさの現場に行くことにした。自ら食材を獲得してみれば、見えてくるに違いない。山奥の町とはいえ所詮半島、電車で東に一駅で海につく。トンネルばかりの真っ暗の車窓が続き、海に出ると世界が明るくなった。防波堤の中程に場所を決め、魚釣りをはじめた。沖に投げたり、足元に垂らしたり、クーラーボックスに入りきるギリギリまで釣った。大漁、まだまだ日本の資源には余裕があるようだ。釣ってみたものの、どうするか。刺身か開いて干すか、それ以外にアイディアが浮かばないまま、電車を降りると多国籍スイーツ女子たちの臭いがした。わたしはクーラーボックスを椅子にして座に加わった。漁師は最も男らしく生活力がある素晴らしい仕事だと褒められ、お祝いにハグされた。駅員の若い男が椅子を持ってきたので混ざるのかと思ったが、わたしのために持ってきてくれたようだった。わたしはありがたく借りた。駅員は、あなたも釣りに行って男を磨いて、黒くなれとペルー人に激励されていた。色白の若者は嬉しそうに仕事に戻っていった。クーラーボックスの中身を見せ、欲しいものがあればあげようとした。全員が貰っても困るというリアクションだった。ルーマニア人に、生魚には触れないから切身か果物なら歓迎すると言われた。やがてスシにしてくれと言いはじめた。彼女たちは自国にいるときにスシを食べたが、おいしいものではなかったらしい。その”スシ”には心当たりがあった。みんなをスシ・パーティーに招待した。

 わたしが仕事を辞める決意をしたとき、その後の転落へのリスクヘッジとして二つの決意をした。一つ、辞めるのは一年後でそれまでは働いて節約して金を蓄えること。もう一つ、週末は寿司屋で働いてレシピや技術を覚えること。もし万が一、生活が崖っぷちになったら、外国のマイナーな都市に行ってスシバーを開く、スシバー計画である。銀座の一流店とはいえ、皿洗いとホールのバイトで技術は習得できなかったが、下準備から仕上げまでの作業手順はすっかり記憶した。見習いが叱られるのを見ていれば、何に注意すべきかも分かった。節約も兼ねて毎朝毎晩、家で練習も重ねた。

 失職してやや崖の近くでもあり、スシバー仮開店である。スイーツ女子たちは、全員が自国のワインを持参してきた。道案内役を買って出た駅員のアイディアらしい。わたしはテントを畳んで確保した場所で六人の客を迎えた。若い頃のことは体が覚えていて、握りの動作に迷いがなかった。我ながら素晴らしいフォルムのスシを握ることができた。想像以上の出来に得意になり、次々と握っては彼女たちの前に置いた。漁師でスシバー、やればできるじゃないかと褒められた。ときどきワサビを効かせて場を盛り上げた。軽く炙ると彼女たちの口に合うことが分かった。しかし彼女たちのお気に入りは甘めの卵焼きだった。追加で巻くために駅員は卵を買いに行かされた。夜の冷気が湧き、食欲が満たされると、ルーマニア人の主導でフォークダンスのような盆踊りのような変なダンス大会がはじまった。踊る若い女たち、焚き火に照らされた半身、森に染められた半身、夜の空気とワインの酔いの漂う空間、天国のようだった。

 海の豊かさを守るために、魚を釣って豊かさを享受し、身近な人たちに分配した。それっぽく言うと、シェアした。14番の理想的な行動だ。しかしふと疑問が。昔々、狩猟生活だったころにはこのようなシェアが普通で、やがて交換になって、貨幣ができて、市場ができて、と経済が誕生したのでは。SDGsとは非経済社会に戻ることなのか。

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