「(清水邦夫とエアリズム)」2021/06/09

・清水邦夫「ぼくらが非情の大河をくだる時―新宿薔薇戦争」
今日も戯曲デジタルアーカイブを読んでいた。
清水邦夫、好きなんだけど(どの作品もタイトルがエモいやね)、さすがにこの作品は書かれた当時の時代背景がわかってないと作者の意図をきちんと汲むのは無理だ。時代背景や社会情勢が寓話的に表現されていれば、その寓話についての感想くらいは言ってもバチが当たらないだろうが、これは何の比喩も無く、学生運動に携わった人を描いてるので……。
これも岸田戯曲賞作品らしいから、当時の演劇人たちにはすごい響くもんだったんだろう。
ずるいなあ。60-70年代の日本で青春を送りたかった願望は全く無いが、その時代の演劇史はリアルタイムで感じたかった事柄に溢れている。

・くっさいエアリズム
ユニクロのオンラインストアから注文していたブツどもが届いた。
その中の1枚、自分用のエアリズムのインナーが……これすごい臭いぞ!?
「吸水性に優れそのうえ速乾、よって防臭にもなる」みたいな文言がパッケージに書いてあるが、それがこんなに嘘くさく見える日があるんだなあ。生きてるとさ。

・()
私はよく文章に()を挿入してしまう。
今日も元気に()を使ってるが、これが良くない癖であることは自覚している。
()を多用する人間は大抵頭がおかしいからだ。敢えて断言。
読みやすさを心がけて文章を書くのなら、1センテンスにつき1つの要旨でまとめるべきだ。「○○は××であるが、☆☆でもある。」ではなく「○○は××である。しかし○○は☆☆でもある。」と。
()は一文の中に、別の要旨を持つ文章を挿入するときに使われて、かつ読みやすさを損ねる効果がある。「○○は(☆☆でもあるが一般的には)××である。」のように。
他人に向けて、という建前で書いている文章に()を多用するのは、自分の文章への客観的視点が欠けていること・それに気づいてすらないということを自ら暴露しているようなものだ。
最近よく見ている5chのスレにやたらと()を多用する人がよく書き込んでいて、()以外にもちょうどいい塩梅に個性的な狂い方をしているので、別のスレで見かけても「あ、()の人だ」とわかるようになってしまった。
多分()の人が()を多用するのは、一文書き終わる前に思考がぶわってたくさん枝分かれして、それを文章全体の論旨から鑑みたら不要な部分を剪定/選定することができないんだろうね。それで思いついた瞬間書いている文章の()内に書いてしまうんだろう。自分がそうだから想像がつく。でも剪定が出来なくて結果的に話があっち行ったりこっち行ったりするって、それ明らかに特定の医学書に載る特徴だよな。あっ私はその自覚は一応あるから……。
それで自戒を込めて()について一度書いておこうと思った次第だ。
一文がやたら長い、「だけど・でも(逆説)」「なので(順接のしかも文法的に微妙な単語)」の多用など、他にも自分の文章の欠点はアホほどあるのだが、ひとまず。
……あ、↑の()は補足の()だからセーフよ。セフセフ(AAry(←これは古のやつ)。
(これが気狂いの()の使い方例です(そういう意味で今いちばん()を使ったキチ芸が上手いのはみくのしんさん(オモコロとかで書いてるライター)で、正直彼の文体は少し憧れるところがある(()以外にもヤバいところはたくさんあるんだけど、21世紀の「言文一致(二葉亭四迷の目指したところのアレ)」の答えの欠片が確かにそこにあると私は思う)))
(これだけ()のマトリョーシカみたいな文章になってくるとExcelの関数を書いている気分になる。あのチェック機能、今だけnoteアプリに欲しい(チェックしないで公開するけど)。)

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