「ファンアートを見た日」2021/06/02

・マイナポイント申し込んだ
こういうのは簡単には貰えないものなんだと思っていたけど簡単だった!!
……って、まだ貰えてないから。ここで「簡単だった」って思っちゃうから良くないんだよ。

・有名人のイラスト
世の中には有名人・芸能人のイラストを描くことで自分の好きを表す人もいるらしい。
いやうん、それは知識としては知ってるつもり。つもりというのは、それってどこか遠くの世界のことだと思っていたからだ。
いつからこんなに近くなってたんだろう、それともずっと近くにあったのに気づかなかっただけなのか。たまたまそういう人がいない業界? だけを選んできたのか。あまり芸能人に対して強いファン感情を持たないからか。何が的を射てるのかわかんないなあ。
インターネットのおかげで文字通りの有名人は増えたし、そんな一方的で部分的に知っている有名人を身近に感じる手段も増えた。ファンが感じた良さを発信し共有するのも容易だ。
だからかな、有名人の二次絵を見かけることは多くなった気がする。
自分と同じものを見て同じような気持ちになっている人が、自分とまったくの別方向に好意を爆発させているのは不思議な気分だ。私の気持ちにも実はあんなエネルギーがあるのだろうか。

・見えない黒子
そんなわけで今日は、おっかなびっくり、三次元の有名人のイラスト(ファンアートというらしい?)を見ていた。
どうやって描いてるの? どうやって塗ってるの? って混乱するほど上手い人もいれば、授業中に描いたらくがきをアップしてる人もいる。
特に「上手くない」作品を見ると、ぶっちゃけ「ようアップしようと思えたな」って気持ちがわいてくる。誤解されないように弁護すると、馬鹿にしたいわけじゃなく、ほんとにその決断はどこで為されてるのか純粋にわからないんだ。
だって私もイラスト(二次元キャラのね)を描くのは嫌いじゃないけど、描いたものをインターネットに載せようという気持ちが無い。イラストというのはオフラインで楽しむものだという固定観念のようなものを持っている。
旦那に宛てたメモにアイマスのキャラやらポケモンやら描くけど読まれたあとは捨ててるよ。こんなスケールでも「ごみ捨て頼む」ってメモの横に深夜のテンションでアイドル描いてから寝て、翌朝夫が出社したあとに起きてもっかい改めて見るとさ、「こんな絵見せるべきじゃなかった」って後悔することがあるよ。水の呼吸を使いこなす高槻やよいとか、クールだった高校生のときの佐藤心とか(しゅがはには高校生のときクールであってほしかった。デレステの直近のSSRで言及されてるのかなあ)。
上手い下手じゃなく描かれた人や事柄に対するパッションがいちばんの権限を持ってるんだろう、というのは予想できるけど、でもリアルさは無い。
じゃあイラストって単語を文章に置き換えたらどうなんだ。何故文章ならインターネットに載せられるのか、最低限以上の自信があるのか。……となると自信なんか無いはずなのに、確かに私はごくごくお気楽に書き連ねているからますますわからなくなってくる。
玉石混交の作品群は、愛や情熱によってのみでなく、作者の人たちだけに見えるハードルを超えられたかの判断を経てアップされているんだとしたら。って、怖すぎるな。
今日見て回ったイラストの有名人は、顔に黒子があった。私だってその人をさんざん見たはずなのに、イラストを見るまでまるで気づかなかった。ふつうに見てる分には気づかないけど絵を描くにあたっては見過ごせない特徴。それを欠いたまま堂々としてるのが私なのではって思ってしまう。対象を同じくして描く人には見抜かれてしまう。もう一度、怖すぎる。

・好きって言えない
自分は何故イラストをネットに載せないのか。ひいては、何故好きであることをネットにアップしないのかについて、ひとつ思い浮かんだことがある。
「ファンです」って公言した途端に閉ざされる道があるからではないか?
有名人と自分は、さっきも書いたけど一方的な関係だ。その有名人がどんな活動をしてるかはバラバラだけど、何かしらのプロ意識を持って不特定多数の前で活動しているなら、ファンを名乗る存在との交流はまずしないだろう。芸能人はインスタでファンへのリプ返はしないし、Youtuberは大物になればなるほどコメントを拾わない。もしかしたらここらへんのコミュニケーションについての常識は変わってきてるのかもしれないが、少なくとも私の好きな人たちはそうであるということで話を進める。
誰かに、あなたのファンですと表明することはその人と自分の間の空間を断絶させることとイコールに見える。有名人と親しくなれるのは、既に他の有名人と知り合いになっている者か、相手が有名人であることを知らない者だけだと思う。
だからファンであればあるほど、私はそれを当人に知られたくない。のかもしれない。
どんだけ身近に感じられようがそれは錯覚にすぎなくて、住んでる世界は違うし、私が声の限りに叫んだところでその人の場所まで私の声は届かないのだけど、それを本当に1000%認めてしまったら、ただただ悲しいだけじゃないの。最初から声に出さないでおけば、気持ちが届かない理由を「叫んだら聞こえちゃうけど黙ってるだけだから」とうやむやにしておけるから、そうしているんだろう。もっと気持ち悪い領域に踏み入れるなら、もし私がその人と友人になる機会があったとしても、私が尊敬する人は私みたいなものとは交友しない。でも声に出さなければ、その間は。
……のかもしれない。
そう考えると、ファンアートを描いてる人らはすごいな。ハードル設定についてはまだわからないけど、自分のファン感情に全部落とし前がついてるわけだから。
もしファンアートをネットにアップしたくて仕方無い日が来たなら、全部身元伏せて完全匿名でやろう。私があなたを好きなこと、絶対あなたにバレませんように。

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