言葉そのものから感じるおもしろさ
いまのところ、言葉に4つのおもしろさを感じている。その感覚を忘れないため、そして共有するためにここに書き残そうと思う。
以前、アニメで「船を編む」を見た。それは辞書を長い時間をかけてつくりあげる話だった。
ストーリーの最初の方で主人公は「右を説明するとしたらどうするか」と質問される。
それに対して、箸を使う方だと左利きの人を無視することになるし、心臓のない方でも心臓が右にある人もいるそうだし、、、体を北に向けたとき東に当たる方角、と答える。
様々な状況を想像して誰もがわかるように説明しようとするその過程があの分厚い本を形成しているのだと思った瞬間だった。今まで辞書に対して、言葉の意味がわからないから使うものという単純な道具としての認識から、辞書を作ることの挑戦や努力に尊敬するような感情を持つようになった。
1:言葉そのものの認識のおもしろさ
辞書の最初のページにある編者の言葉を読んだことがあるだろうか。
このストーリーをみて実際に編集者の考えや思いを知りたくなってホコリを被っていたそれの最初のページを読んだ。その一部にこう書かれていた。
言葉の海のただ中に、人のほうが生み落とされている。
言葉は文化の遺伝子である。
これは、私たちが言葉をコミュニケーションツールとして扱っているのではなく、言葉が人を形成しているという考え方だ。そして、その言葉は時代ごとに生まれたものであり、その文化があるから自分たちという存在が成り立っている。
確かに、言葉がなければ自分がどんな人なのかを伝えることができないし、逆に周りの人から可愛いとか、かっこいいとかいう言葉で定義されるからこそ、他者から自分が認識される。
言葉がなければ人を言い表すことができないのである。
自分が言葉を扱っていると言う考えとは全く逆で、言葉が自分を扱っているようなこの考え方はおもしろいなーと思うのである。
2:AーA ∩ Bの言葉
例えば買い物に行ったとき、「これかわいい」という言葉はよく聞く。
でも、自分は何がかわいいかわからないことが多々あった。
「かわいい」ってなんなんだ。
そんな疑問から「かわいい」について話をすることがあった。すると、かわいいは見た目がどうこうという話もあったが、ものの背景が垣間みれた瞬間に思うとか、自分がつくれないものに対して思うとか、他にも色々な意図があることを知った。
一つの言葉の中にも人によってそれを定義するものが微妙に違うのだとしって、自分のなかで決めつけていた言葉の意味だけでなく、他の人が持つ意味も知り、許容することで、自分では思いつかなかったことに気づくことができる。
数学的に表現するなら、集合 A(自分にとっての「かわいい」), 集合B(相手にとっての「かわいい」) の交わりA ∩ Bが辞書が扱う言葉の意味であり、普段ならその部分だけで会話が成り立つのを、
AーA ∩ Bまで理解することに言葉のおもしろさがあると思うのである。
3:言葉を構成する要素
言葉は単純な意味を表すものではなく、色々な意味の集合体だとすると、その集合体は何によって構成されているんだろうか。
その要素そのものにもおもしろさがあると思った。
例えば「捨てる」という言葉でも、部屋を綺麗にして最後にゴミを捨てるという背景と、10年間大切にしていたぬいぐるみを捨てるという背景を伴った「捨てる」と言う言葉には明らかに違いがある。前者には清々しさ安堵感のようなものがあるし、後者は、悲しさだったり感謝のような感情をもった言葉となる。
言葉の中の要素には、このような体験から生まれる感情が含まれていて、相手の言葉の意味を理解することは、相手の感情や性格、経験などを読み取ることにも繋がっていくじゃないのかっと思った。
私たちは、このどうしても伝えたいけど言葉だけでは表すことのできない気持ちを写真とか絵とか詩で表現したりすることがある。
これも一般的に認識されている言葉の意味には含まれない、その人自身の言葉の要素を形にしているのかなと思えてくる。
・対義語がすごい・
幸せの反対は不幸せ、
美味しいの反対はまずい、
正義の反対は悪、
多くの言葉にはその意味とは逆の意味が存在する。これを対義語というのは言うまでもない。そんな対義語ってよくよく考えると一方の存在がなっかたら成り立たないよなーと思う。
幸せは不幸せを知っているから感じるものだし、
いつも美味しいものばかり食べていたら、そもそもそれが当然と思って美味しいという感情は湧いてこないだろうし
悪者がいるから正義のヒーローはやってくる。
甘さを引き立てるために少し塩を入れたり、いい香りにするために臭い香りを混ぜたりするのもこの対義的存在が一方を引き立てる役わりを担っている。
対義語は全く反対の意味で近づけば近づくほどその違いがはっきりしてしまうのに、絶対に必要な存在と言うのはツンデレみたいでかわいい。
普段の生活の中で一方の言葉は使っていても、その瞬間には真逆の存在はあまり意識しないことが多い。悪者につかまって必死にヒーローに助けを求めているときに、悪者のことを考える余裕は絶対にないはずだ。
でも、全く逆のことを考慮することはもう一方のことを考えることに直結する。
そのことを対義語で感じるからこそ、対義語の存在がおもしろいと思えてくる。
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