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world's end umbrella

僕の名前は...いや、やめておこう。紹介するに足らない、どこにでもいるような、特に特徴のない人間なのだから。今は下校の途中だ。なんだか、最近周りの出来事が妙に遠くに感じられ始めた。まるで僕の前で景色を映した大きなテレビが垂れ流されているような...僕はその傍観者にすぎないような...そんな感覚を感じながら、漫然と日々を過ごしていた。周りを見渡してみると、薄暗い、それでいてどこか明るく真っ赤な夕焼けが僕の前に横たわっていた。昼と夜の境界線、どちらでもない。その不安定さが、それでいてどこか停滞したその物憂げな雰囲気が未だ何者でもない僕自身とやたら重なって見える。昼と夜の間で時が止まってしまったように、動かない太陽。終わりのない、永遠の夕暮れ時...全てが停滞したような雰囲気を感じる。妙にノスタルジックな感覚に身を震わせると、ふと前に少し大きな水たまりがあった。どんよりした雰囲気を吹き飛ばすように、僕は勢いよくその水たまりを踏んづけようとした。だが、次の一瞬は僕を裏切った。足がつかない。バランスを崩した僕は、必死に手をつこうとしたが、ぼちゃん、という音を立てたきり、僕の腕に何かが触れることはなかった。沈んだと思ったら今度は重力が逆さに働いたような気がして、気づくと僕は水たまりに寝そべっていた。あまりに急な出来事に脳が追いつかない。さっき踏みしめようとした地面に、いつのまにか寝そべっている。だが、周りの景色は一転していた。空一面を覆うのは機械仕掛けの傘らしき物体。ここから100メートルくらい離れたところに支柱が見える。何本もコードらしき何かが絡み付いている。人の気配はない。だが、不思議と寂しさは感じなかった。惰性で見ていたテレビが、いきなり面白い番組を始めたような...そんな心躍る感覚が胸を駆け回る。空が見えない。どれだけこの傘は大きいのだろう?その時、なぜかはわからないが、あの傘の上に登れば何かが解決する気がした。いや、確固たる根拠があるわけではないのだが...そんな気がしたのだ。あの支柱に向かって歩みを進める。途中で、何かの管らしきものに何回か足を取られた。ようやくふもとらしき場所に着いた。支柱らしきものは、よく見ると巨大なタンクや管の集合体で、その中心には特別硬い柱があるようだった。よく見ると、大きな歯車やネジもあるようだ。一体誰が、なんのためにこんなものを...?機械仕掛けの、モノクロトーン。あまりに無機質なその支柱は、まるで今の僕そのものじゃないか。なんの特徴があるわけでもなく、ただ動いているだけ。存在しているだけ。ただ回るだけの歯車と、何が違うというのだろう。ところどころに空いた穴から吹いてくる隙間風は、まるで空虚な僕自身の心を覚ましていくようで、妙に親近感を覚える。支柱の周りをぐるりと回ると、黒い扉が、厳かに、まるで僕のことを待っていたかのように、そびえていた。重々しい黒い扉は、僕を拒みはしない。重苦しい音を立てる扉を押し開けると、中には灰色の螺旋階段がポツンと立っていた。カン、カン...登り始めると、螺旋階段は乾いた音を立てる。ところどころに空いた壁の穴から光が細々と差し込み、足元を照らす。不思議と登ってゆくにつれて道は暗くなってゆき、寒くなってきた。急な悪寒が、僕の背筋を通り抜ける。ここになって、急に怖くなってきた。長い。ひたすら続く、長い階段...足の感覚も無くなってきた。でも、この世界に来なくても同じことだったんじゃあないだろうか。意味もわからず、ただ階段を登るような人生...規定のレールに乗った、歯車のような、錆びれた人生。そうだ、この螺旋階段は僕の人生そのものだ。足音が、繰り返しの中に消えていく。時折肌に触れる、冷たい空気が僕を現実に引き戻した。ただ、歩き続けることに意味などあるのだろうか、そう思い始めた時だった。きらりと、頭上で何かが光る。出口だ。息を呑み込み、歩みを進めた。錆びた匂いも煤けた情景も色を淡く変え始めていた。螺旋階段の突き当たりには、とても小さな扉が、微かな光を漏らしながら、埃を纏い待っていた。開けよう。息を呑み込み、ドアノブに手をかける。あっけなく、扉は開いた。次の瞬間、僕の目に飛び込んできたのは、雪が広がる地面と、星が降ってきそうな、一面の夜空だった。見渡す限り、何もない。雪と星しかない世界。気づくと僕は泣いていた...なにもないようで、なんでもあるように見えた...ずっと、こんな世界ならばよかったのに。優しい光が、無機質な鉄の塊たちを光色に染めていく。絶対的に小さい僕を照らす無数の光。だが不思議と眩しくはないその光...もう、何もいらない...絶対的に小さな存在であることを、不思議と肯定されたような、そんな心地がした。滲んだ世界に一人きり...この世界に漂う塵の、ただ一つに過ぎないのだろう、それ以上でもそれ以下でもない。そしてそれでなんら問題はない。そんなことを考えていると、不思議と眠気に襲われた。雪に体を預け、意識は薄らいでいった。いつのまにか、日が昇ってきたようだ。冷たい雪と暖かい陽光に包まれて、不思議と心地よくなったところで、僕は目を閉じた。

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