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コミュ力とは。

最近気づいたこと。それはコミュニケーション能力とは誰とでも話せることではないということ。それは相手がいかに気持ちよく話せるように会話のボールを投げられるかなのだと思う。

とある家族のvlogを見てた。夫婦のやり取りを見てたらなんだかほっこりした。お互いが求めているであろう返しをするからたかが「この時期の天候が気持ちいい」という話題なのにとても話は弾むし、心地良さそうなのだ。その時、「この2人の雰囲気素敵だ」と思った。
私と気になるあの子との会話を思い出した。昨日バイトの休憩中もそう思ってしまったんだ。誰かのディズニー土産のお菓子を見て、アトラクションの話題になった。絶叫アトラクションに乗る人間はイカれてるとか人間としての正しい機能が備わってないって言ってた。なんだかさ、半分ふざけて大口叩いているのも分かるんだけど、そんなに言わなくていいのに。と思ってしまった私がいた。確かに重量の浮遊感や落ちると分かっているのに登っていく時のドキドキなど絶叫の怖い気持ちも分からなくはないけれど、私にとっては爽快で好きなものの一つ。だからそれを否定されている感じがどうしても気になってしまう。

いつも君は年上としてのアドバイス?実体験?を沢山話してくれる。もちろんとても嬉しい。君のポジティブさに元気づけてもらう時も沢山ある。だけれど、どこかなんだかモヤモヤするんだよな。あの時私はこう感じたとかの類の話をすると大抵「あー、俺はこう思うけどね」って言われる。否定はされないけれど受け入れられていない気がする。勿論君の意見に気付かされる時も沢山ある。でもねそれが逆のパターンだった時、君は私が話題に対して確かにね〜それも考えられるよねって言ってるんだけど、気づいているのだろうか。なんだか共感が少ないんだよね。
少し話がそれてしまうけれど、たまにお前って言われると私の名前はお前じゃないしって言いたくなってしまう。好きな人とか友人と上下関係ができてしまうのも私は心地よくない。

分かる!分かる!っていうあの喜びが少なくて、なんだか私たち違う人間ですって言われている気がする。不安を話してもアドバイスとか自分の意見を言ってくれる。嬉しいんだけれど、慰めて欲しかったり、共感して欲しいんだよね。これは相手に言うべきなのだろうか、それとも互いの違いを理解して受け入れることで本当に好きということになるのだろうか。これがよくわからないのです。

相手がどう思ってこれを話していて、何を求めているのか分かるようになるともっと会話は楽しくなるし、相手のことを知れるのかもしれない。心地良い関係が形成できるのかもしれない。そう君が気付かせてくれた。私ももっとコミュニケーション能力を培っていきたい。

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