ブレイキー氏のために 〜JAZZジャイアンツに捧ぐ・装いの意義〜
これが、この夜の最終の演奏だろう、と思う。
ホールの客は私を含めて3組しかいない。満席になれば20組は入るだろうから、こんな客入りで演奏してもらうのは、こちらが申し訳ないような気になってくる。でも、入口側のバー・カウンターには常連みたいなのが4人ほど座っているし、頭数ぜんぶ合わせれば、聴衆は10人ほどになる。プレーヤー達もこれで何とかやる気になってくれるとよいのだが。
スポット・ライトが点灯し、ステージが明るくなる。反対に客席の照明が落ちる。
男が1人、ホールの奥のトイレのある通路から入ってきてステージに上がり、タンス型の大きなスピーカーと木製のスツールのあいだに立て掛けてあるウッド・ベースのもとへと歩いていく。次にチノ・パンツにポロ・シャツ姿の男がステージにあらわれピアノの前に座る。最後に出てきたのは白いTシャツにジーパン姿の中年の男と灰色のスーツ・スタイルの青年で、中年のほうはマイク・スタンドの前に立ち、青年はドラム・セットの椅子に跨るようにして座ったあと背筋を伸ばし体勢を整える。
ピアノがいくつか軽く音を出し、それに応えるようにウッド・ベースの男が「ボン、ボン」と弾いて鳴りを確かめる。チューニングを合わせているようだ。ドラムスの若い男はシンバルやスネアの位置を調整し、ペダルのチェックのためにか「ドンドン」とバス・ドラムを2回鳴らす。
白いTシャツの男がカルテットのリーダーで、ストラップで首からテナー・サックスを提げている。
演奏が始まるようだ。
軽い挨拶と来店への感謝の言葉を述べたあと、今日はどんな夜なのか、とか、これから演奏する数曲は何を目的として選んだのか、などとマイクの前でこの男が説明している。
演奏がはじまる。1曲目はミディアム・テンポの50年代の名曲、ベニー=ゴルソン作曲の『Wisper Not(ウィスパー・ノット)』。定番の曲で、すごく良い。始まりの曲としてふさわしいのではないだろうか。
演奏を始めた彼らを見ていて、ふと気づいたことがある。それはメンバー全員の服装についてのことだ。
サックスはTシャツにジーパン。ピアノはポロ・シャツにチノ・パンツ。ベースの男もやはりベージュ色のチノ・パンツに上は半袖のボタンダウン・シャツを着ている。つまり彼ら3人は普段着なのに、ドラムスの若い男だけ、なぜか堅苦しいスーツを着ている。
サックスの男は40代後半。ベースもピアノも同世代だろう。しかしドラムスだけが若く、30歳には届いていないかと思われる。細身の体にオーソドックスな灰色のジャケットとスラックス。シンプルな白地のYシャツを着て、ネクタイまで彼は締めている。
年齢だけを比べても1人だけ明らかに違うのに、服装においてもこの男だけが他と異なる。
シャズ・クラブにも色々あるが、ここは気どったタイプの店ではない。場所、店構え、客層、料金のすべてが「カジュアル」と言っていいだろう。この店のステージに合っているのは、中年3人のほうの服装だ。
バンド・メンバーとの統一性においての違和感と、店の雰囲気との調和においての違和感、この2つがドラムスの若者に漂っている。
それに、彼を見ているとスーツを着慣れている感じがしない。たとえば椅子に腰掛ける時、よほどの正式な場面でない限り上着のボタンは外すのが通例だ。しかし彼はボタンを止めたまま座って演奏している。何より、止めたままでは窮屈でドラムスの演奏がしにくいだろう。おそらくスーツを着て演奏することなど殆ど無いのではないか。
上着の肩幅も彼に合っていないのが、ここから見ていてわかる。このスーツは彼のものではないのかもしれない。
それならばなぜ、この若者はいま、スーツを着て演奏をしているのだろう。
2曲めは『Caravan(キャラバン) 』だ。1曲目に続き、これも往年の名曲。〈ジャズ・メッセンジャーズ〉などの演奏で有名だ。ドラマーの叩くライド・シンバルのリズムが心地よい。
始まる前の懸念は杞憂だったようだ。
少ない客の前でも懸命な演奏を見せてくれている。テナー・サックスの男の額に汗が光る。熱のこもった、いい音が聴けて嬉しい。
若いドラムスの男も演奏を楽しんでいる。他のメンバーよりもとりわけ歳が若いので、今夜の彼はじつは代演で、正規のバンド・メンバーではないのかもしれないとも思ったが、そうではないようだ。少なくとも、演奏の息はぴったりで、カルテットの信頼関係もうかがえる。
それだけに、彼だけスーツ姿なのが気になる。
場違いだと言ってもいい。
服装とは何なのか。
体の部分を他人に見せないようにするためや、体温の調節といった機能的な理由で人が服を着るというのは当然のことだ。
では「装う」とは何なのだろうか。
場に適う服装を選ぶということは誰にもあることだろう。冠婚葬祭が良い例だ。改まった場所や席にはそれなりの格好を人は選んで装う。
ドラムスの彼の場合、この「場に適う」という装いからは間違いなく外れている。
なぜ「装う」のか。考えられるもう1つの理由は、気持ちを示すということだ。
大切な人と会うとき、いちばん気に入っているシャツを着て「気合いを入れて」待ち合わせ場所に向かった経験などはないだろうか。ネクタイや靴なども、これを体につけるとなぜか「身の引き締る思い」で場に臨むことができるという1本や1足を持っている人もいると思う。
ならば今夜の彼は、スーツ・スタイルを装うことで自分の気持ちを示そうとしていると考えることはできないか。
演奏は続く。3曲目はファンキー・ジャズの定番、ボビー=ティモンズの『Moanin'(モーニン)』。言うまでもなくモダン・ジャズ界の巨匠である、アート=ブレイキー〈&ジャズ・メッセンジャーズ〉の代表曲 — これ以外に説明のしようがない。
そうか……
ここまでの3曲はアート=ブレイキーを偲んでの選曲だったはずだ。今日は彼の命日だと、ステージの最初にバンド・リーダーは語っていた。
アート=ブレイキー。
50~70年代のモダン・ジャズを牽引してきた男。自ら結成した〈ジャズ・メッセンジャーズ〉のメンバーとともに数々の名盤・名演を残し、愛された。
そして、彼はジャズ・ドラマーだった。
アート=ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのレコードのジャケット写真には、彼がスーツ姿でドラムを叩いているものが多く使われている。彼だけでなく、昔のジャズマンはスーツやタキシードなど、フォーマルな姿でレコードの表紙やステージの写真に収まっている者も多い。
青年は今夜スーツを着て演奏することで、ブレイキー氏や、かつての時代のジャズ演奏家たちに敬意を示そうとしているのではないか。
彼の真意はわからないが、そう思うことにした。
3曲目が終わったが、次の曲にいく前にバンドは小休止をとっている。各々ボトルの水を飲んだり、手や額の汗をタオルで拭っている。
ドラムスは特に汗びっしょりだ。再び演奏の姿勢に戻ろうとするところで、ようやく彼は上着のボタンをはずした。だが、脱ぎはしない。
次は〈ジャズ・メッセンジャーズ〉に在籍していたトランぺッター、クリフォード=ブラウンに捧げたバラード曲『I remenber Clifford』。
ジャケットを着たまま、彼の演奏は続いていく。
(おわり)
最後まで読んでいただきありがとうございます。
こちらも是非ご覧ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?