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90分のハピネス〜新宿歌舞伎町から大久保公園まで〜

彼女のことを、撮ることができるのではないかと思った。


東京・JR新宿駅を東口から出て「歌舞伎町一番街」を抜けて歩いてゆき、さらに北に —  JR線の新大久保駅方面に向かう道順で歩くのが好きだった。

土曜日の午後。歓楽街の中心は賑やかだが、はずれのほうに進むと通行人は多くない。BARや居酒屋、ホスト・クラブや焼肉店 ―  昼間に営業はしていない料飲街の裏道を歩いて、閑散とした通りの全景などを何とはなしに、持っているカメラで写真に撮る。
そのような休日の使い方が私は好きだった。 

東京・新宿の、いわゆる歌舞伎町と呼ばれる街区の北のはずれに小さな公園がある。フェンスに囲まれたバスケットボールのコートと数組のベンチとアクリル製の衝立に囲まれた喫煙所が端にある、そんな程度の公園だ。
そこまで歩いて、タバコを取り出し火をつける。ここに来る途中で買っておいた缶チューハイのふたを開ける。
喫煙所には他にだれもいなかった。

喫煙所から少し距離をおいて2組のベンチが並んでいる。こちらに近い方のそれに、彼女は座っていた。
吸い終えたタバコをもみ消して、缶チューハイを半分ほど飲んだころ、彼女は立ち上がって少しうつ向きながらこちらに近づいてきた。

彼女が言った。
《あそびませんかぁ》

この言葉の意味はもちろん理解している。わかるが故に、彼女の風貌に目がいった。

若い。
背丈は150センチほど。細い下半身にコットンの黒いミニ・スカートをはいている。ジーンズ製の上着の下に濃いピンク色のTシャツが見える。脱色した肩までのベージュ色の髪に幼い顔立ち。こちらを見上げたとき、片方の眼の焦点がうまく合っていないことがわかった。あまりよく見えていないようだった。

男性客をつかまえて近くにあるラブ・ホテルに入り性的なサービスをして個人的に金銭を稼ぐ彼女のような女性たちがこの一帯にいることは知っていた。
一瞥ののち、無言で首を横に振って誘いに乗る気がないことを明確に伝えると、彼女はただ、黙って立ち去っていった。


この後の1か月半ほどの間に、この同じ場所で彼女に何度も会うことになる。
土曜日の午後、いつもと変わらない道順でこの公園まで歩き、同じようにタバコを吸って缶チューハイを飲む。はじめから彼女はベンチにいてこちらに気付くこともあれば、ちがう所からこちらを見つけて喫煙所に近寄って来ることもあった。
はじめの言葉はやはり
《あそびませんかぁ》
だったが、それには答えず、かわりに、土曜日は大概この場所にいることや、お金に少し困っていることなどを彼女から聞いた。


彼女に会うためにこの公園に何度も足を運んだ。

《写真を撮らせてもらえないだろうか》
作品のモチーフになってほしかった。

「享楽都市・東京」をテーマとした写真に文章を加えてフォト・エッセイのような形の作品を仕上げたいと、当時かんがえていた。たとえば彼女を撮り、その写真と大都市の世相を絡めた考現学的な文章を書き、1ページの上半分にその写真を横位置で載せて、空いた下半分に文章を配置する。このような1ページ完結型の体裁で、彼女の写真とそれにまつわる文章を組み合わせる。そして他の題材でもそのような形で幾つも作っていけば、やがて10編、20編とまとめたときに「東京」に関しての面白いドキュメントになるのではないか……

2度、3度と顔を合わせ、少ない時間ではあったが言葉を交わすうち、彼女をどのようにして写真に収めるのかという撮影コンセプトのようなものも固まってきた。

ふたりでラブ・ホテルに入る。
裸になってもらい、カメラを構えるこちらに対し背中を見せる格好でベッドに膝を崩して座らせて、顔や胸が写らない角度から撮る。裸の後ろ姿だけでなく、脱いだ衣服や荷物や靴も、彼女のすぐ脇に並べて一緒に写真に収める。そうすることで、顔や体のすべてを写さずとも、この女性の素性を象徴的に捉えられるのではないか。


次の土曜日に彼女に話をしようと思った。
≪写真を撮らせてもらえないだろうか≫
プライバシーに配慮し、顔や胸側の上半身は絶対に撮らない。彼女に撮影の意図を理解してもらうために作った企画書には — そう書いておいた。
もし撮影を承諾してくれるのなら、彼女が通常おこなうサービスの値段分を取材の謝礼としてもちろん支払う用意があることも告げるつもりだった。


しかし、結局しなかった。撮影の話を彼女に持ち掛けることができなかったのだ。

その写真に組み合わせる文章のことを考えた。
彼女の身の上に関する記述は不要だろう。裸の後ろ姿にふさわしいのは、その彼女の客になる男たちのほうの物語だ。
こんなことが頭に浮かんで、そのアイデアを練っていくうちに、彼女を撮ることはできないと思ってしまった。

わたしは撮影者ではなく、客だった。
ひとりで過ごす休日に、うさ晴らしと寂しさと性欲の解消のために自分のそばに居てくれる異性を金銭によって求める男たちが彼女の客であるとするならば、わたしはまさに、客の1人だった。
ならば裸の彼女の写真に添えるべきは、彼女と何度も会い話をしていく中で、わたしの心が彼女に対しどのように動いていったかの正直な告白ではないのか……


あの土曜日の午後はいつものコンビニエンス・ストアで、缶チューハイだけでなくペット・ボトル入りのお茶と、鮭とたらこのオニギリを1つずつ買って公園に向かった。

彼女はベンチに座っていた。喫煙所には入らず、わたしは彼女の横に腰掛けた。
≪あそびませんかぁ≫
彼女に先にそう言われたら、わたしはそれに応えてしまうはずだ。
彼女から何か言い出す前に、わたしのほうから挨拶をし、ビニール袋に入ったオニギリとお茶を差し出した。昼食はとらず、この時間はいつも空腹だと前から聞いていた。

≪ありがとう≫
と彼女は言った。


彼女を写真にすることはできなかった。
わたし自身に、その勇気と理性がなかったからだ。


                            (おわり)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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