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畳だった居間のこと

「ただいま」

数か月ぶりに帰る実家

廊下の突き当りにある 祖母の部屋だった和室に直行する。
椅子に座るのも億劫になってしまって、長旅で疲れたからだをそのまま放り投げる。い草の懐かしい香りとさらさらとした感触に身を任せる。

どんな姿で寝そべっていても、畳はいつも受け止めてくれた。
へりが小さな段差になっていて、鼻歌を歌いながら歩いていた祖母はよくそこに躓いていた。転ばないでね なんて心配しつつ、小さかった私はその上を綱渡りのように歩いて遊んでいた。

いつだっただろうか、大がかりな工事が始まった。
木目のパレットが並ぶカタログを眺めて、こんな感じになるのかしら、背の高いテーブルが似合いそうだなあなんて心躍らせながら、完了するのを待っていた。

実家の居間は、あこがれの、つるつるのフローリングになった

まるで某リフォーム番組に出ているお家かのように、まったく新しい部屋へと生まれ変わっていた。素敵な椅子とテーブルが運ばれてきて、初めて座ったときはどきどきした。もう食事中に足が痺れることもない。祖母がへりに躓くこともないし、お掃除も楽になる。
床に着かない宙ぶらりんの足を眺めていた。

フローリングにも寝そべることはできるけれど、前よりも僅かなほこりや塵がちゃんと見えて気になってしまう。肌に触れるのはかたく冷たい床。

もしも自分を床に例えるのなら
畳のようなひとがいいな、なんて思う。

食べものだったら、お味噌汁。




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