雪の小石川後楽園へ
昨日は会社をお休みして、水道橋へ
うっすら雪が積もり始めてる
ぐるりと囲まれた塀。
そして改めて、なんでこんな場所に東京ドーム作れたんだろ。
江戸時代の大きな大名屋敷、例えば
・本郷の水戸徳川、加賀前田→東京大学 分かる。
・市ヶ谷の尾張徳川→防衛庁 分かる。
・赤坂の紀州徳川→赤坂御用地 分かる。
・青山大膳亮→青山霊園 まぁ、分かる
・小石川の水戸徳川→半分東京ドーム 全然分からない。
水道橋が右下にあるんだけど、明治時代の地図だと砲兵本廠 三小区ってなってる。
東京砲兵工廠があったらしい。
ずいぶんと東京の真ん中に工場を作っていらっしゃる。
で、庭園部分は小石川後楽園という形で残して、工場部分は関東大震災で被害を受けて、株式会社後楽園スタヂアム(三井、第一勧銀、みずほグループ?)に売却されたのだと。
当時、いくらで払い下げられたんだろう、、、
そして、そういや、東京ミッドタウンも防衛庁跡だったなぁ。
ん、ま。
ただでさえシャーベット状になった路上、怖いのに、靴底すり減ってツルツルな靴を履いてきちゃって、憂鬱になりつつ。
塀の瓦の紋
調べたけど分からんかった。
水戸六つ葵ってのはあるらしく、まぁ、それの簡易版な感じなんだろか。
そして、江戸城外堀石垣を再利用した石積となっているけれども、いつの時代かまで説明してほしい。。。
そして、確かに、山崎家の「山」あった。
門の透かし彫り、これも水戸六つ葵だろうか。
目の前に東京ドーム、ばーーん!
で、雪吊りしてて、なんでだ?と思ったのだった。
ずいぶんと古そうな西行堂の前の狛犬
園内を川が流れてる。
水源、なんだろう、って思ったら、当時は神田上水を引き入れていたらしい。
殿様、やりたい放題だぜ!
デジタルズームでギザギザになってしまっているけれど、多分、シラサギ
ロウバイ
こういうところを渡っていきます。
スリル満点!
そして、梅林へ。
そういや、水戸の偕楽園、梅で有名だよな、と。
ちなみに、小石川後楽園の名前の由来は「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という、岳陽楼記からの一節から取ったらしいのだけど、偕楽園は「中国の古典である『孟子』の一節である「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり」からとっています」とのこと。
どっちなんだ。。
そして、解せないのが「水戸里帰りの梅」っていうコーナーがあったんだけど、里は、水戸では、と思ったのだけど、いや、ここの梅を持ち出して偕楽園に植えたんだろか。
いや、規模的にあんまり考えられない、とも思ったのだけど、個人的にこの子だけピックアップされて、水戸に出張した後戻ってきたんだろか。
分からぬ。。
ちなみに、小石川後楽園が作り始められたのが1629年で、偕楽園が1842年に開園されたらしいので、まぁ、小石川の方が先輩っちゃ先輩。
いろんな種類の梅が集められてた。
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