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旧東海道歩き131 浮島町と江戸時代の人口など

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浮島町
もう、名前から水が見える

元々沼地で、潮の満ち引きで浮島のように見えた、というのが地名の由来。

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見たことないタイプの道標

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水と緑と歴史のまち 宮地区
佐屋街道(七里の渡しの迂回路)、美濃路(東海道宮宿と中山道垂井宿を結んだ脇往還)、木曽街道(美濃国と信濃国の境界部に当たる木曽地方の一部区間。広義には中山道)
・・・木曽街道??
美濃路の先に中山道があるから、ってことかな。

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東 北さやつしま(佐屋街道)
  同みのち(美濃路)
南 寛政二庚戌年
西 東江戸かいとう(東海道)
   北なこやきそ道(名古屋・木曽道)
北 南京いせ七里の渡し(東海道)
  是より北あつた御本所貮丁(熱田神宮)
色々な道が交差しているけれども

そして、七里の渡しも、渡れない日があるはずで、宮宿(熱田)の宿泊可能人数、何人だろう、って調べなおしたら、3095人で、東海道五十三次で一番大きい宿場町だった!
そして、人口の抑えなおし

https://www.pref.aichi.jp/dourokensetsu/tokaido/untiku/5210.html

1万人以上の人口があった宿場町が
・府中 14,071人
・宮       10,342人
・大津 14,892人
ほほー、人口も第三位!

東海道中膝栗毛でも、弥次喜多さん、宮宿に泊まってる。
ここで一泊するのが一般的だったのかもなー

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あつた蓬莱軒の本店

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2時間待ちだってさ!


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