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旧東海道歩き122 池鯉鮒宿と知立神社

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40番目の宿場町、池鯉鮒宿の首夏馬市
江戸時代、馬の値段、どれぐらいなんだろうと思って調べたけど、イマイチ分かんなかった。
でも、感覚としては、車を一台買うようなイメージなんだろか。

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岡崎宿と鳴海宿の間

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平成30年。知立まつり

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そして、きっと、山車をしまっている倉庫。
素敵!

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知立神社にお邪魔する
112年創建ってことで式内社
三河国の二宮、旧社格は県社
江戸時代は東海道三大社(他は三嶋大社と熱田神宮)に数えられた、と。

私も、思ったよ。
格が全然違わない?と
この人、知立神社の人に問い合わせまでしちゃってる。
それに、そんなに有名だったら、浮世絵の題材になっているはずだけど(事実、三嶋大社と熱田神宮は、広重の浮世絵で書かれてる)
となると、東海道三社が、はてー、本当に?とはなるが

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ただ、東海道名所図会には載ってる。
昔より蝮よけの神札をだす、と。

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多宝塔は国指定の重要文化財
1509年に再建されたものが残されてる
しかし、多宝塔、寺院建築なはずで、と思ったら、元々、神宮寺っていうお寺だったのね。
で、本尊の愛染明王は廃仏毀釈で撤去された、と。

密教の明王の一つ

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平面が方形(四角形)の初層の上に平面が円形の上層を重ね、宝形造(四角錐形)の屋根を有する二層塔婆を「多宝塔」と呼称する。(wikipediaより)

構造は確かに。

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花崗岩の太鼓橋

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そして拝殿
これ、スルーしたな、私。。

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東海道名所図会にも多宝塔、池と石橋が書かれてる

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