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地蔵盆の思い出:京都の夏祭りが消えゆく理由

【1,800文字】
 そういえば最近、地蔵盆を見かけなくなった。

 私が小学生だった頃、夏休みの終わりが近づくと町内会の役員さんから「提灯を出してね」と声がかかるのが恒例だった。京都市内の子どもたちは、みんな自分の名前が書かれた提灯を持っていたものだ。
 地蔵菩薩の縁日である8月24日前後の土日に行われる地蔵盆。この行事が終わると、二学期が始まる。夏休みの宿題を忘れ、公式に楽しめる最後の行事だ。

 地蔵盆の朝は早い。役員さんたちは、まず町内のお地蔵さんを飾り付ける。お地蔵さんにお化粧をし、前掛けを着せ、祭壇を作ってお花や供物、お膳などを供える。
 さらに、男性の役員さんたちが中心となって、運動会の本部のようなイベント用のテントを立て、会場を提灯で囲む。テントは子どもたちの名前が書かれた提灯で溢れ、通りの両端にはお手製の大行燈が吊るされる。

 50メートルほどの通りが通行止めになり、なんの変哲もない道が一瞬でイベント会場に変わるのだ。
 小学生だった私は、歩行者天国になった道を大行燈から大行燈まで無意味に往復した。それがとても楽しかった。
 一般的な大行燈は、長さ270センチ、幅60センチ、高さ90センチくらいの木製の枠に紙を貼り付けたもの¹。絵の上手な上級生が好きな漫画のキャラクターなどを描くのを見て、憧れたものだった。

地蔵盆の大行燈 (「コドモとアプリ」さんのサイトからお借りしました²)

 地蔵盆の日程はあらかじめ住民に知らされているので、当日までに車を移動させたり、草取りを済ませたりする。
 当日は朝早くからテントの下にゴザを敷き、靴を脱いで待つ。最初のイベントはお坊さんによるおつとめだ。高齢者にはパイプ椅子が用意されるが、基本的にはゴザを敷いた地面に正座をして読経を聞く。これが終わると、お菓子がもらえる。

 昼には福引や輪投げがあり、たくさんのお菓子を食べる。スイカ割りやバーベキューが行われる年もある。夜には盆踊りがあり、テントの下では顔見知りの大人が話しかけてきたり、知らない大人に頭を撫でられたりする。
 一日中誰かがテントの下で話している。私は飽きてくると自転車を走らせ、他の町内の地蔵盆を見に行くこともあった。
「あの町内はたこ焼きと金魚すくいをやっていた」といった情報を自分の町内に持ち帰る。学校の教室で学ぶよりも、この道路の上で大切なつながりを学んだように思う。

 しかし、先日の地蔵盆で通行止めはなかった。飾られたお地蔵さんはあったが、その前には誰もいなかった。蝉の鳴き声だけが響いていた。

 子どもの祭りといわれる地蔵盆も、町内から子どもが減り、集まるのは高齢者ばかり。町内会に入らない人も増え、時代の価値観に合わないとの指摘もある。
 さらにコロナや酷暑の影響で、中止する町内会が増えた。やっても午前中に終わらせることが多い。暑すぎて危険だからだ。

 私の町内も午前中に終わらせた。提灯も数えるほどしかなかった。久しぶりにあの大行燈の絵が見たいと思ったが、出されなかった。
 絵が見たいなら美術館やギャラリーに行けばいいと思われるかもしれない。京都には祇園祭もあり、山鉾は「動く美術館」と呼ばれる。
 祇園祭も町内会が運営しているが、こちらは絶やしてはならないとサポートされている。しかし、整備されたアートだけがアートではない。実際の生活のそばにある実用的な小さな祭りもアートではなかろうか。

 地蔵盆は謎が多く、よくわかっていないが、江戸時代の文献には登場する。そんな歴史ある地域主催の祭りが消えかけている。おそらく、復活は難しいだろう。半日だけでも続けていければ良い方だ。
 今年の地蔵盆では、お地蔵さんを飾るのにビニールのカラフルな紐が使われ、配られたお菓子の袋も色とりどりだった。我が家の子どもたちは、仏教全開の行事であるのに、おもちゃのマシンガンを手に満面の笑顔で帰ってきた。

 地蔵盆を彩るのは、スーパーや100円ショップで買えるものばかりだ。雑然としていて、ちっとも美しくない。でも、それが嬉しいんじゃないかと私なんかは思うのだけれど。

※参考資料 
¹:ハンドブック「京の地蔵盆」京都をつなぐ無形文化遺産普及啓発実行委員会、平成27https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000201776.html
²:Web:コドモとアプリ「夏の終わりの地蔵盆」2016.08.21 https://studio.beatnix.co.jp/child/jizoubon/

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