展覧会レポ:阿児つばさ「day scenario」。まさかマルセル・デュシャンの生まれ変わり?!
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人見知りの私としては珍しく、アーティストの方と長話をした時のことである。
こんな展覧会ってアリ???
会場の方の説明を理解するまでに、しばらくの時間を要した。
「アーティストと話して作品を制作していただきます」
どういうこと?
展覧会に来たはずだ。さきほど入場料の500円を支払った。作品を観て、感動させられる。そんな展覧会に来たはずなのだが?
もちろん私の記事は〈体験しちゃう〉をテーマにしているから、いつでもVRゴーグルくらいは付けさせてもらう。が、そうではないらしい。見たところ会場にいるのは、私1人だ。
奥から出てきた人が、「阿児(あこ)つばさです」 とおっしゃる。
会場は私とアーティストの阿児さんだけ。
え、え?
「ご予約をありがとうございます」
私だけですか?
「はい、定員が1人なんです」
1人? え? 私で、大丈夫ですか?
「うふふ、もちろんです」
作品をさせてください
だれもが、こう思うはず。
一体、何をするんだろう?
ギャラリーには木の椅子とドローイングがある。何より、ジャスミン茶だろうか、スッキリとした香りに満ちている。
椅子を勧められた。
「等しさを感じること、感じないことはありますか?」
のどかな日曜日の昼下がり、私はボサボサの髪でアーティストの前に座っている。
ジャスミン茶じゃなく、濃い珈琲が必要だ。
「等」とは何か?
私は家族のことをひねり出して話した。平等に接しているようでも、親としての立場があって、なかなか「=」になっていない、と。
木片を渡され、自由に描いてほしいと頼まれる。
作り手と鑑賞者の関係とは何か。それは取り払えないのか。
私の絵に阿児さんが描き足してくれる。(下に写真アリ)
大型の展覧会では、入口に作家の解説が書かれている。だがこの展覧会、アーティストはここにいる。直接聞きたい歴史を聞けば、答えてくれる。一番観たい作品も、飾られていない。だって、今、作っているのだから。
阿児さんはいう、「不完全なわたし」と。
アートとはなにか?
阿児さんは、それまで誰もやってこなかった「アート作品=モノ」という根本的な常識を捨てたのだ。アートを「鑑賞者の思考」を促す雑談にした、ということか。
それはリアルに違いない。だって、私そのものなのだから。
阿児さんは、私が思考する手伝いをアートにしたのか。
自分なりの解釈を考える、この記事を書くのも、阿児さんのアートの一環だろうか。
わたしもアーティスト?!
私はあらためて興奮した。あの質素な展覧会(すいません)を、本当に刺激的だったと感じた。
もちろん、豪華な美術館の展覧会は魅力的である。でも、本当に美しい展覧会というのは、アーティストによって作られるのではない。
デュシャン〈泉〉のみかけは男性用便器だが、「最も影響を与えた20世紀のアート作品」と呼ばれている。阿児作品のみかけは「謎の雑談」なのだが、惹きつけられた。
いやちがう。謎の雑談だからこそ、惹きつけられたのだろう。〈泉〉から湧く水のように。
おみやげタイム「ホホホ座」
向かいにある本屋さん。雑貨と古本も置いてらっしゃる。
今日の記念に何かモノがほしい。アーティストの裏側に案内された展覧会だったから…
このマッチ箱も、今回のアート作品の一部、ということで。
ソース:
¹:作品展示リスト「day scenario」阿児つばさ
²:末永幸歩『13歳からのアート思考』ダイヤモンド社、2020
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