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『うれしい悲鳴をあげてくれ』 感想

今回は3ヶ月くらい前に読んだ『うれしい悲鳴をあげてくれ』という短編集エッセイ・小説集について紹介します。
興味ある方は読んでってください!


ロックバンド、スーパーカーの作詞・ギターを担当し、現在は作詞家兼音楽プロデューサーのいしわたり淳治の短編エッセイ・小説集。

収録されているエッセイや小説のほとんどは音楽の話ではなく、いしわたりが世の中をどのような角度で見ているかという話。

さすが作詞家というだけあって言葉の選び方、物事の捉え方、どれをとっても面白いし、参考になる。

「ヒラメキの4B」

中でも僕がとりわけ心に残ったのは「ヒラメキの4B」という話。
ヒラメキの4Bとは「ベッド」「バー」「バス」「バスルーム」の4つの頭文字を取った言葉。これらの場所がヒラメキに適しているそうだ。

頭がこんがらがった時、いしわたりは部屋の掃除をするのだとか。
頭の中が整理できないと目に見えてる世界も整理できない。
そして部屋を見渡した時、300枚のTシャツ、一度読んだきりの本、聴きかえすことのないCDが目に入る。
そんなあってもなくてもいいものを捨てて捨てて捨てまくる。
それがいしわたりのヒラメキ術。

あってもなくてもいいものとは頭の中の要らない知識や先入観と同じだと言う。

「いくら知識があっても使いたい時に思い出さなければ、それは知らないのと同じこと」

『うれしい悲鳴をあげてくれ』いしわたり淳治「ヒラメキの4B」107P

バカ(BAKA)になりたい。これがいしわたりの5つ目のB。

確かに一理ある。

でも僕は勝手に師匠と仰ぐみうらじゅんという人の言葉を信じている。

捨てるっていうのは、人も物も一緒なんですよ。そんなポイポイ捨ててる癖をつけると、人も捨ててしまうんですよ。よくないんですよ、あれ。

「みうらじゅんが語る 断捨離すべきでない理由」miyearnZZ Labo

これは昔たまたま聴いていたラジオでみうらじゅんさんが断捨離ブームに物申して言っていた言葉だ(書き起こし残っててよかったw)。

まさにそう。最近は人も物もすぐ捨てすぎ。一度愛着を持ったら寿命を迎える最後の瞬間まで捨てずに持っておくのが僕の主義。

僕は物にかなり思い入れを持つ方なので
「大好きなバンドのTシャツ、これを捨てるのはこのバンドへの愛を捨てちゃう感じがして嫌だな」
「サブスクで聴けるけど、好きなバンドのCDをプレーヤーに入れる瞬間たまらねえ」
などと思って物を捨てられない。捨てる気もない。

極め付けは本棚で、本がどんどん増えていくけど、よっぽど嫌な気持ちになった本以外は売ったり捨てたりせず本棚に投入していく。

本棚は僕の魂のルックスだと思ってる。本棚を見てもらえば脳内メーカーみたいに僕の人間性を分かってもらえるように並べる順番もこだわっている。
ただ最近は本が増えすぎて、本棚から溢れてしまっているのだが。

というわけで僕は色々な知識と先入観を持っていたい派だ。一方からだと偏る。あらゆる側面からの知識と先入観を手に入れなきゃダメだ。

「いくら知識があっても使いたい時に思い出さなければ、それは知らないのと同じこと」なのなら思い出せるように見えるところに本を置いておくのだ。
思い出せるように定期的に着まくったTシャツをまた着るのだ。
好きなアルバムは毎晩寝る前にCDやLPレコードから流すのだ。

そうすると、その当時の記憶や感情も思い出せる。
このTシャツ着て好きな人と映画観に行ったなとか。
この曲聴いて辛い時に枕を濡らしたなとか。

僕の5つ目のBはbookshelf(本棚)だ。

「浮き浮きウォッチング」

もう一つエピソードを紹介したい。

たまたまこの短編集の中で「ヒラメキの4B」と横並びになっている「浮き浮きウォッチング」というエッセイ。

都心に程近い高台の公園。夜11時を回った頃。
その公園にはUFOが出るという噂をふと思い出してバイクを停めた。
そしたら本当にUFOを見ることができたそうだ。

ある日、財布が見つからず、家を出られない経験をしたいしわたり。
絶対にこの場所に置いたのになかったり、家の隅々まで探したのになかったり、焦れば焦るほど財布は全く見つからない。なのにさっき確認したはずのテーブルの上に堂々と財布が置いてある。

「なかった」はずの場所に突然「現れる」そういう経験誰だってしたことがある。
僕だってある。毎日のようにあるし、こないだは3万のイヤホンを同じ理由で失くした(これは結局出てこなかったが…)。

実はみんな四六時中UFOを見ているのではないか。いしわたりは言う。

常にUFOはそこらへんを飛び回っていて、みんな見えている。でもUFOを探そうと躍起になると途端に見えなくなってしまう。「探し物」なんてそんなもの。

いしわたりは愛についても語る。

愛も探し出すと見つからない。見つからないものを見つけるには五感に頼っていてはいけない。「シックスセンス」が必要なのだと言う。

本当にそうだと思う。これはもう価値観の問題なので、他人の考えを否定するつもりは毛頭ないけど、年収とか職業とか容姿とか、そういう目に見えるものだけを五感に頼って探していると愛は見つからないのだと思う。

例えばマッチングアプリは目に見えるものしか表示されない(いつもdisってすいませんね。。。)。シックスセンスを働かせようがない。シックスセンスは人と目を合わせた時や話をしてるふとした瞬間にくるあのビビッとくる感覚なのかな。それがシックスセンスでa.k.a.愛なのかな。

愛を探すのに五感に頼って便利でいこうとしてはダメなのです。

最後はこの短編集で一番ビビッときたいしわたりの言葉と曲で〆させてもらいます。

湿っぽい人たちは大切なものが見えていないのだと思う。愛はいつもすぐそばにあるのに、それを疑ってばかりいたりする。愛なんてものはハナから「ない」と決めつけてしまっている人さえいる始末。何とも残念なことだ。僕はまったくの無宗教で、神もいないと思っているけれど、愛は信じている。愛こそすべてと思っている派だ。素敵じゃないか、愛。

『うれしい悲鳴をあげてくれ』いしわたり淳治「浮き浮きウォッチング」99P


みなさんも興味あれば読んでみてください。

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