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月末映画紹介 『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』 『三島由紀夫vs東大全共闘』批評

今回は3月に公開された作品から『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』と『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』について書きたいと思います。全く毛色が違う2作品ですが、興味を持っていただけると幸いです。

『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』批評

DCコミックの実写映画化プロジェクト、DCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)のスピンオフ作品で『スーサイド・スクワッド』のメインキャラクターでだったハーレイ・クインを主演に据え、女性ヴィランの活躍を描くアクション映画です。

アクションシーンのリズム感の良さ、女性たちによる男権社会への反逆というテーマがかなり爽快でした。
一方でその構成には少々問題を感じたので、良かった点と悪かった点について書いてみたいと思います。


忖度なし!男権社会への挑戦

ハーレイ・クインという奔放なヴィランを中心にハントレス、ブラック・キャナリー、レニー・モントーヤ、カサンドラ・ケインなどDCコミックの人気ヴィラン、人気ヒーローがチームを組み、犯罪組織のボスであるブラックマスクに戦いを挑むというもの。
ブラックマスクの他にも、手柄を横取りする上司、家族を殺したギャング団、ブラックマスクの用心棒ザーズなど、「悪い男」がたくさん出てきます。

この作品は男性と、それに付随する権威や暴力のようなものに徹底的に戦いを挑んでいる作品です。

ハーレイ・クインはジョーカーに捨てられ、ブラックマスクに脅迫されており、ハントレスはギャング団に家族を殺され、レニー・モントーヤは男性の上司に手柄を横取りされて、出世を阻まれてしまっています。

中でもユアン・マクレガー演じるブラックマスクは男性的な残忍さ、卑劣さ、金と権威を併せ持ったヴィラン(悪役)です。

笑い声が気に入らなかった女性をテーブルの上に立たせて、服を無理やり破かれるシーンに象徴されるようにブラックマスクにはミソジニー(女性嫌悪)があり、女性に笑われる、バカにされるというパラノイア(偏執症)に囚われています。

このようなミソジニーは潜在的に多くの男性が抱えていると思います。特に保守的なアメリカや日本のような国ではその傾向が一際強いと言えるでしょう。キリスト教的なジェンダー観から脱することができないアメリカや構造上の男尊女卑を保持し続ける日本の男性に根強いアンチフェミニズムや男性権威主義を「女性ヒーロー」が打ち倒すというのがこの映画一番の肝です。


脚本上の問題

「女性ヒーロー」が男権社会に反抗するというモチーフ自体はとても面白い。そして描く必要性のある問題です。ハリウッドではハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ問題から端を発する#Metoo運動があり、女性の人権に積極的に取り組んでいます。

アメコミ映画でも『ワンダーウーマン』や『キャプテン・マーベル』など「女性ヒーロー」を主人公にした映画が続々と公開していますが、その先駆けは『スーサイド・スクワッド』のハーレイ・クインだったのだと思います。

『スーサイド・スクワッド』は悪党が世界の平和を救うように強制させられる話でした。ハーレイ・クインはあくまでヴィランであり、快楽の為に奔放的に行動する狂気に満ちた悪党だったはずです。
しかし、今回のハーレイは奔放ではありますが、行動に一貫性がありません。脅されたとは言え、あのハーレイが女の子を助けたりするでしょうか?
僕が先ほどから「女性ヒーロー」と括弧つけて読んでいる理由はヴィランであるはずのハーレイがヒーローになってしまう違和感からです。これではハーレイがハーレイである理由がなくなってしまいます。

それから、時制が途中で戻ってしまう構成にも問題があります。さあ盛り上がるぞというタイミングで「何があったかというとね」という感じで時間が過去に戻り、ハーレイのモノローグが始まるというのは、どう考えてもテンションが下がってしまうし、盛り上がりが途切れてしまいます。そもそもこの構成を利用する必要性が全く感じられませんでした。

そして魅力的なキャラクターが多数登場するのに、終盤までそれほど深い絡みがなく、あまり深掘りされないのも残念です。これはとてももったいない。『スーサイド・スクワッド』もその傾向がありましたが、今回のメインキャラクターは半分以下です。もうちょっと描きようがあったのではないかと思います。

つまらなくはなかったものの満足かと言われれば不満の残る作品でした。



『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』批評

1969年に行われた作家三島由紀夫と左翼系学生による学生運動である東大全共闘との間で行われた討論会を約50年ぶりに振り返るドキュメンタリー作品です。TBSだけに保管されていたスクープ映像を交え、討論会と当時の社会状況、三島という人間の本質に迫っていきます。

三島由紀夫はノーベル文学賞の候補になるほどの日本を代表する純文学作家です。『潮騒』『仮面の告白』『金閣寺』『美しい星』など、素晴らしい作品を数多く発表します。過激な皇国主義者であり、民兵組織「楯の会」を結成、市ヶ谷駐屯地を襲撃し、天皇主権を要求するクーデターを起こすも失敗して自決します。

全共闘は60年代末期の左翼的な学生による学生運動です。大学や国家などに対する反体制運動、及び当時激化していたベトナム戦争への反戦運動です。中国の文化大革命に影響を受け、暴力を用いた革命も辞さないとした為に、機動隊との全面衝突を迎え、学生間の考え方の違いから内部崩壊していきました。

非常にシンプルかつ誤解を恐れない言い方をすれば、この討論会は三島という最高知性の右翼と東大全共闘という最高知性の左翼の知と知のぶつかり合いです。

国家と個人、事物と認識、歴史と時間の連続性、表現と政治性、そして天皇、三島と全共闘の芥正彦らの白熱した討論が続きます。ここで討論の内容の言及にしてしまうと、論文になってしまうので割愛させていただきますが、全く考え方の異なる両者の意見は実は同じ方向を向いていたように感じます。

三島も全共闘も怒りや向けていた対象は同じで、それは「曖昧な日本」でした。考えることや決断し、行動することを放棄した日本という国のあり方に向けられた怒り。全共闘は国家や民族を越えようとし、大日本帝国の時代に青年期を過ごした三島は天皇という存在を中心に民族自決の自立した日本を取り戻そうとしたのです。生まれた時代や環境の差による埋まらない価値観の差があったものの、両者は暴力を肯定し「曖昧な日本」を変えようとしました。その意味で、盟友だったのかもしれません。

個人的な考えを言うならば、暴力で何かを成し遂げようとした三島も全共闘も間違っていたと思います。しかし、自分で考え、何かを変えようとしたことは称賛に値します。今、国体を変えようと発言したり、行動する作家がいるでしょうか?国や大学のシステムに怒り、デモをしようという大学生がいるでしょうか?現代、残念ながら「曖昧な日本」が勝利してしまったような気がしてなりません。


コロナウイルスでなかなか映画を観に行くことができない時代ではありますが、家でも映画を観れますから皆さん映画観ましょう!

ミニシアターを支援する方法があったらここに書きたいと思います。文化の灯火をここで途絶えさせてはいけません!!


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