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#548 部分と全体を考えた学び
世の中には様々な学習方法があり、またその伝え方は様々。今はインターネットが発達し、私たちは学習メソッドに関して多くの情報を手に入れることができます。
私たちはどうしても「楽」をしたがる。ある方法で結果がでなければ、すぐに他の方法を試してしまうこともある。
先日、プロ野球のyoutubeをみていた時、ある指導者が
最近の選手は、我慢ができない。すぐにフォームを変えてしまう。
と言っていました。
自分なりに試行錯誤しながら、その解決を図るために、様々な情報を仕入れて変化を求める。これは主体的な行為です。一方、どれだけ正しい方法でも、結果はすぐに出るものではない。その方法でやり続けた方が本当はいいのに、ある期間で自分の納得のいく成長を感じることができなければ、その方法が正しいのか疑問に思ってしまうのです。
英語学習でも同じことが起こる。特に苦手であればあるほど、自分のやっていることが徐々に信じられなくなってくる。
学び方に正解がないからこそ、私たちは安易に「正しさ」を求めてしまうのかもしれない。
そんな時、大切なのは一旦そこから離れてみること。ある部分がうまくいかないと、そこにこだわりがでて、あたかもその部分が全体に思えてしまう。しかし実際は、学びはもっと広いものであり、他の部分の学びを進めることで、自分が今まで苦しんでいたところがふとできるようになったりする。
部分と全体の相互的な学びを大切にしなければならないと思う今日この頃です。
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