メモ『職場のハラスメント なぜ起こり、どう対処すべきか 』

大和田敢太(2018)『職場のハラスメント なぜ起こり、どう対処すべきか』 中公新書

本書の内容については、筆者へのインタビューが公開されている。本インタビューでもポイントとして挙げられているように、ハラスメントを包括的に定義しようという試みが特徴的である。それゆえに、ハラスメントとして取り上げられる事例も豊富なものになっており、それが本書の魅力となっている。

 筆者の分析では、日本の議論状況では包括的なハラスメントの概念規定がないまま、ハラスメント概念が細分化している。それによって被害者は、そもそも自分がハラスメントの被害に遭っているのかの判別がつかないで苦しむ。また多くの人にとって漠然としたハラスメントになるリスクが意識される事になる。そこで、筆者は職場におけるハラスメントを「労働者に対して、精神的あるいは肉体的な影響を与える言動や措置・業務によって、人格や尊厳を侵害し、労働条件を劣悪化しあるいは労働環境を毀損する目的あるいは効果を有する行為や事実」と定義している(31)。
 この定義の特徴は以下のように指摘できる。
1、加害者の意図を必要としない。
これは筆者も強調するところである。それでは何によってハラスメントを認定するかという点が2点目の特徴である。
2、客観的なハラスメントの結果を認定する。
広く労働に関連して、人格や尊厳を侵害し、労働条件を劣悪化しあるいは労働環境を毀損するという結果が生じたという客観的な事実を重視して認定する。
以上は筆者が自らの定義の特徴として述べるところであるが、私はさらに3点目として以下を指摘しておく。
3、人格や尊厳の侵害に言及する。
これは厚生労働省のパワー・ハラスメントの定義と見比べることで特徴と言えることがわかる。厚生労働省の定義では、職場のパワーハラスメントとは、職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものをいう。この定義、及び典型としてあげられる6類型では、人格や尊厳への明確な言及はない。(ただし、6つ目の類型でプライバシー権への言及はなされているように見える。)

 筆者がパワー・ハラスメントという概念に見ている問題は、包括的なハラスメント概念に欠けることだけではない。
 第一に、行政上の所管の違いを反映し、セクシャル・ハラスメントとパワー・ハラスメントの扱いが分断されていること。これが問題であるということは、私は説得されたので、これ以上の検討は加えない。
 第二に、職場での権力(パワー)関係(上の要素の①)を前提とすることで、一方では水平的ハラスメントや上向的ハラスメント、外部的ハラスメントが包摂できないこと。他方で、本来対等な関係であるべき職場での人間関係において権力関係が存在することが不問に付されてしまうことが挙げられている。
 これに対し、水平的ハラスメントや上向的ハラスメント、外部的ハラスメントの包摂については優越的地位の解釈によって対応がなされているところである。例えば、顧客から従業員へのハラスメント(外部的ハラスメント)は、従業員はその業務の存在を顧客に依存している以上、顧客が優越的地位を持つと認められうる。また、生徒から教師に対してのハラスメントやアルバイトから管理職に対してのハラスメント(上向的ハラスメント)も、例えば新人の教師に対して生徒が優越的地位を持つことや、現場においてより特定の技能を蓄積しているアルバイトが優越的地位を有すると認められうる。また、優越的地位の要因や背景として性別や国籍などを考慮することも可能だろう。ただし、このような解釈上の工夫自体が本来不要であり、優越的な関係を背景としたという要件を設けることで、水平的、上向的、外部的ハラスメントの被害者が自らの被害を認識しにくくなると筆者は反論するであろうし、それは妥当だと思われる。
 本来対等な関係であるべき職場での人間関係において権力関係が存在することが不問に付されてしまうという指摘については、筆者がハラスメントは構造的な問題であり、だからこそ個人の問題ではなく、社会的課題、もしくは経営課題として取り組む必要があるのだと、強く主張する点と呼応している。そして、これに対しても遺存はない。なお、ハラスメントを構造的不正義として捉え、ヤング(2011:2014)の「社会的繋がりモデル」を応用する試みとしては、神島(2018)がある。

以上のように本書の試みには基本的に賛同しているのだが、気になる点としては、ハラスメントという言葉の射程が曖昧になっていないかという点である。端的な傷害罪ではないかという例から、転職を考える事になるが法的な位置付けは難しいという例まで広範に含む用語になる。ハラスメントの中での類型化や、ハラスメントをキャッチした後の対応の方法の整理などによって、包括的なハラスメントの概念を、個別の人に合わせて使えるようにする試みが必要になるだろう。実際に本書の第3章で試みられているのはそのような整理だと思われる。すなわち、職場でのハラスメントを業務型・労務管理型・個人攻撃型に分ける。その中でさらに事例を類型的に列挙する。重要なのは、それぞれのハラスメントの類型がどのような利益を侵害しているのかという点まで言及されていることだ。加えて続く節ではハラスメントと差別との関係を持ち得ることも指摘している。被害者にとって、自らのハラスメントをまずはハラスメントとして捉え、さらにそれを位置付けるための助けになるだろう。漠然とハラスメントという語が使われる恐れと、それを整理しうる材料の両方を提示していると評価できるだろう。

 最後に、一点明確に批判しておきたい点がある。p168-9にわたって、「同性婚の承認が一部の自治体や企業で見られる」という記述があるが、この記述は誤りである。確かに、自治体や私企業に同性間のパートナーシップを認める例はあるが、それは結婚の制度とは別のものである。利用の簡便さや得られる法的保護などの点で結婚とは全く違う制度である。筆者は法律婚以外の婚姻形態(事実婚や同性婚)という書き方をしているので、現状での同性パートナーシップ制度を法律婚と同一視しているわけではないことは読み取れるが、このような同性婚という言葉の使用は適切ではなく、「同性婚の承認が一部の自治体や企業で見られる」という記述そのものが誤りであることは変わらないだろう。
 筆者はハラスメントと差別の関係まで目を配っているが、このように、ハラスメントを問題として提起する者自身が、完全にハラスメントに関わる問題状況を正確に把握、記述できるわけではない。これを偽善的であると謗ることを私は良しとしない。まずは間違いであるということを明確に指摘し、これが一般向けの新書であるとはいえ、アカデミストとしての筆者に対して対話を投げかけることが学生にできる一つのことであろう。

参照
Young, Iris Marion, Responsibility for Justice, Oxford University Press,2011 〔=アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』岡野八代・池田直子訳、岩波書店、二〇一四年〕
神島裕子(2018)「構造的不正義としてのハラスメント」『哲学』2018 年 2018 巻 69 号 p. 21-31

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