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地獄が呼んでいる

 前回ひじょうに眠気を催しつつ、適当に書いた記事(「地獄でなぜ悪い」)が、自分のnoteにすれば「いいね」が比較的多くついた。めでたいことなのだろうか。でもたった10数件のいいねである。それでも自分には多い。
 他の人をフォローするとか、他の人の記事を読むとか、そういう「おたがいさま」のことをほぼしていないし、宣伝活動もしていない。数人の知人に知られるばかりで、このままぼくのnoteは埋もれるだろう。ほどほどに良い記事を書いているつもりなのだが、やはり知られないのは存在しないのとほぼ同じなのかもしれない。
 だが、それでもぼくのnoteだけでなく、ぼくの一挙手一投足を見つめているものがある。
 地獄だ。
 地獄が見つめているのだ。
 昼休み、本でも読もうと思ったら、Netflixの通知に、
「地獄が呼んでいるをNetflixでご覧頂けます」
とある。
 観るかいな。
 くら寿司の席が空いた呼び出しならNetflixで観てもいい(そのためにサブスクの費用を払うかどうかは別として)。くら寿司の待ち時間はスマホで予約して行っても長い。待っている間に子どもたちと「みつばちハッチ」のアニメでも観ながら、テロップで「お席のご用意ができました」なら、観る。でも「地獄が呼んでいる」は観ない。昼寝している耳元で、星野源をかけろという息子にカスタネットを叩かれたくはないのである。
 「放置自転車を撤去しました」とか「年末調整の書類を提出してください」なら、まだ観るかもしれない。「マイナポイント付与の手続きをいっしょにしましょう」なら割と進んで観るかもしれない。
 でも地獄はごめんだ。
 それでも、親とは因果なもので、こんなふとしたことで子どもの顔が脳裏に浮かぶと、子どもに会いたくなるのである。
 きょうは仕事もあまり多くなく、職場も穏やかだ。保育園から呼び出しの電話でもないかな、なんて勝手なことを思ってしまう。保育園の先生から電話がかかってきて、「ほんの微熱なんですけど、37.4℃を超えてますので、本人は元気なんですけど・・・
 地獄が呼んでいます」って。

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