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【ゲスト講義第4回】「通訳者の準備について~エンタメ通訳の事例から」

ゲスト講義第4回は「通訳者の準備について」です。芸能通訳者の今井美穂子さんを講師にお招きし、プロの通訳者はどのような準備をしているのかについて学ばせていただきました。今井先生が実際に受けてきた数々の案件についてお話しいただき、その際に行った準備について詳細にご説明いただきましたので、臨場感も満載の大変学びのある回となりました。

・講師の今井美穂子さんについて
大学卒業後、映画バイヤーと映画配給の仕事に10年間携わり、最後の3年間は仕事をする傍ら通訳養成学校のサイマルアカデミーで通訳訓練を受ける。サイマルアカデミーを卒業すると同時に通訳者として独立。以来芸能通訳者として活躍し、主に映画業界の通訳(国際映画祭の記者会見、舞台挨拶、テレビ・雑誌等メディアの取材、監督の来日等々)に従事。過去にはマーティン・スコセッシ監督や、押井守監督、俳優のベニチオ・デル・トロさん、キアヌ・リーブスさん、サミュエル・L・ジャクソンさんなど、数々の名監督や名俳優の通訳を担当している。


今回の講義では今井先生の現場での実体験を交えていただきながら、どのような案件に向けてどのような準備をしたか、準備で大切なポイントは何か、といったことを中心にお話していただきました。ポイントを項目ごとにわけてまとめさせていただきました。

1.通訳の準備〜インフラ編〜

◾️音響設備について
通訳に必要な設備というのは色々ありますが、中でも重要となるのは音響設備です。芸能通訳者にとっても、音響設備の確認は必要不可欠です。

というのも、監督や俳優の挨拶や記者会見は、ホテルのバンケットルームや広いホールといった天井の高い会場で行われることが多く、このような会場は構造の関係で音の響き方が少し特殊だからです。たとえば、舞台でスピーカーが発した言葉が会場の聴衆には届いても、同じ舞台上の端の方にいる通訳には届かない、といったケースが多々あるそうです。したがって通訳には「イヤーモニター」または「イヤモニ」と呼ばれる、耳に装着してスピーカーの発した音声を直接聞くことのできる機器が支給されます。しかし現場によっては、イヤモニが支給されない場合もあります。これは事前に確認をしておかなければ、当日スピーカーの音声が聞こえなくて通訳業務が進行できない、ということになりかねません。今井先生は事前にイヤモニの有無について確認し、ない場合は「返しのスピーカー」を目の前に置いてもらえるようにお願いするなどして対策をとっているとのことでした。

◾️通訳環境について
通訳業務が同時で行われるのか、逐次で行われるのか、何人の通訳がどれくらいの時間で行うのか...このへんの環境というのは、通訳手配に専門家(通訳エージェンシー)が関わっていればまず問題はありません。しかし通訳手配が毎回エージェンシーによってなされるのかと言えばそうではなく、場合によっては通訳を使い慣れていないクライアントから直接依頼を受けることもあります。

たとえば今井先生は駆け出しの頃、俳優のベニチオ・デル・トロさんと新藤兼人監督の対談を通訳する機会があり、この際に「3時間の対談収録を同時通訳して下さい」とお願いされたそうです。通訳者や、通訳訓練を受けたことのある人であれば、そのような体制で通訳を行うことは不可能に近いとすぐに分かります。しかし通訳を使ったことのないお客さんであれば、1人の通訳者が3時間の同時通訳を行うことはほぼ不可能、という知識がそもそもないため、このような依頼をされるのも仕方のないことだと言えます。当該案件を受けた今井先生は、交渉をして最終的には3時間の逐次通訳を行うことになったそうです。

英語通訳塾でも学びましたが、通訳のオファーが来た時点で案件の基礎的な環境を確認するというのは、通訳業務において欠かすことのできない重要なポイントだと再認識しました。このあたりの確認をしっかりしておかないと、本番で音が聞こえなかったり、1人でとてつもない時間の通訳をすることになったりするかもしれません。このようなハプニングは何としてでも避けたいところです。

2.通訳の準備〜背景知識編〜

◾️業界の知識について
今回の講義で身に染みて分かったのは、通訳者にとって、通訳をする業界の知識に長けているということがいかに重要かということです。

私自身、映画鑑賞は好きな方で年間100本以上見ていますが、今回の講義を受講してみて冒頭から「あ、この仕事は、映画好きで映画鑑賞が趣味、なんていう程度では絶対に務まらないな」と一瞬で悟りました。なぜなら、授業の初めの方に、押さえるべき基礎知識というスライドが登場し、先生から映画の歴史や名匠やジャンル、そして系譜についての説明があったのですが、これらの情報はすごくかいつままれたものであるにも関わらず、すでにもう圧倒されてしまったからです。

「The Basics」と題された1枚のスライドに載っている情報だけで論文が何本も書けそうだと感じましたし、これだけの情報を短時間の説明に上手くまとめていらっしゃった先生の知識の深さと技量にも本当に驚きました。業界の体系的な知識を得るためには膨大なインプットが必要だということは言うまでもありません。それに加え、知識は「一回覚えたから終わり」というものでもなく、頻繁なアップデートも必要だと感じました。今井先生も、映画ファンの読む国内外の各種映画雑誌のみならず、より専門的な業界紙も欠かさず読んでいるとのことでした。案件ごとに個別に行うリサーチだけではなく、日頃の習慣的な情報収集も大切だということを学びました。

この辺のお話を聞いてもう一つ感じたのは、自分の保有するバックグラウンドや好きな分野と、通訳として活躍しているフィールドがどんぴしゃで重なっていると、通訳として強いということです。あるいは逆に言えば、自分の得意とする分野を持ち、自らの専門性や強みを高めていかなければ、今後通訳としてやっていくのは難しいのかもしれません。

今井先生は芸能通訳者として活躍する以前から、総合映像プロダクションや映画配給会社での仕事経験を通じて映画業界に深く関わってきたという経歴をお持ちの方です。講義でも、これらのバックグラウンドが現在の仕事に生かされているとお話していました。そして先生曰く、映画業界を主な活躍フィールドとしている通訳者というのは、もともと映画業界の出身というバックグラウンドを持っている方が多いとのことでした。

そういえば筆者が英語通訳塾を受講しはじめた際も、通訳養成学校に入学した際も、初めの自己紹介で自分の強みや興味、関心のある分野について聞かれました。今思えば、これは自分の通訳としての強みを意識させるという目的もあったのかもしれません。

今回の今井先生のお話からは、ご自身の通訳に対する姿勢だけではなく、映画業界に対する愛や熱意も伝わってきました。全体的に「通訳とは本当はどういう仕事なのか」ということを色々と考えさせられた深い講義でした。

◾️1つの映画に1つのワールド
今回の講義で最も印象的だったのは、やはりなんといっても今井先生が通訳の度に準備段階で仕入れている情報量と知識量の多さです。映画業界の通訳おいては、1つの映画の1つの記者会見をこなすだけでも膨大な背景知識が必要になるということがよく分かりました。

映画祭に出向くような仕事であれば、何本もの映画を担当するため、単純に必要な情報量が増えます。しかし1つの映画にフォーカスするような仕事でも、その映画について、文字通り何から何まで把握しておかなければなりません。たとえばどのような役者がどのような配役で出演しているか、原作関連の知識、監督の情報、映画の撮影された背景情報などなど、必要になる知識というのは多岐にわたりすぎて、とてもここにはまとめきれないほどです。授業では、先生が実際にどのような情報を仕入れているのかについてお伺いすることができました。以下に何点か事例をご紹介します。

例①『キングコング:髑髏島の巨神』
(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督 2017年3月日本公開)

ヴォート=ロバーツ監督が来日した際の通訳を務めた今井先生。準備のために、なんと歴代のキングコング作品を1933年公開の初代のものから見ていったそうです。これだけでもびっくりな話ですが(プロにとっては当たり前の準備だそうですが)なんと先生は次に、キングコングの世界感に欠かせないという、歴代のゴジラ作品も見ていったそうです。髑髏島の巨神を撮った監督の通訳をするためには、キングコングやゴジラの棲む、怪獣映画や特撮映画のワールドに精通していないといけないというわけです。

この、1つの映画に対して1つの世界が広がっているというのが、映画業界の大変なところだと想像しました。この世界観に備えるだけにも、膨大な準備が必要だということがよく分かります。しかもこれらの知識に加えて、出演者の情報やらパンフレット資料をはじめとする各種資料の情報やらを頭に叩き込むというので、聞いているだけでも気が遠くなりそうです。

例②『ジョン・ウィック』
(キアヌ・リーブス主演 2015年10月日本公開

キアヌ・リーブスさんのレッドカーペットでのインタビューを担当した際、今井先生はアクション映画のベースとなる知識を復習するために、カンフーの歴史について調べるというところから準備をはじめたそうです。また、カンフー関連でジャッキー・チェンさんの映画についても一通り復習して、「ジャッキーのカンフー映画がどのようにハリウッドに影響を与えたか」といったようなことも含めて勉強し直したそうです。レッドカーペットのインタビューともなると、一般のメディアだけではなく様々な専門誌の取材者も来るので、たとえば「キアヌさんのあのシーンのあの銃の装填がすばらしかった」というようなハイパーニッチなコメントや質問も飛んでくるそうです。このような発言を正確に訳出するためには、通訳者もガンアクションやらカーアクションやらの世界に精通していなければならないというわけです。ちなみに本作は、アクションを純粋に楽しめる本当に面白い映画だということで、先生がオススメしていました。後で鑑賞したいと思います。

例③『フューリー』
(ブラッド・ピッド主演 2014年11月日本公開)

主演のブラッド・ピッドさんと助演のローガン・ラーマンさんの出席する記者会見において、今井先生はローガン・ラーマンさんの通訳を担当されました。第二次世界大戦時代を描いた戦争ドラマ映画である本作の記者会見を通訳するにあたり、今井先生は戦車についての勉強をしたそうです。戦車の勉強というのは、例えばどこの国にどういう戦車があって、そういった戦車の構造がどうなっているのか、といったような勉強です。実際の会見でも、戦車の話になったというので驚きです。もしも準備の場面だけを目にしていたら、何か軍事的な通訳でもするのかと思ってしまいそうです。

様々な現場とその準備に関するお話を聞いて、毎回1つの「世界」を頭の中にインプットしないといけない映画関係の通訳がいかにとんでもないか、ということがよく分かりました。さて、プロの準備はまだまだ続きます。

3.通訳の準備〜リサーチと下準備編〜

今井先生が限られた時間の中、どのように優先順位をつけてリサーチを行っているのかということや、本番に向けての細かい下準備、そして現場にどのような資料を持ち込んでいるのかといったことについてもお伺いすることができました。

◾️単語リストはマスト
まず単語リストは必ず作成して暗記、そして現場にも持参してブースに忍び込ませておくそうです。この単語リストには、普通の用語だけではなく、役者名やその配役、さらには当該映画の関連人物のフィルモグラフィー(ある人物が関わってきた映画のリスト)も載せているとのことです。話がどこからどこに飛ぶか分からない業界ならではの単語リストだと感じました。映画監督の中には、まさに映画に関する生き字引のような巨匠もいて「自分は黒澤監督の映画を観て育った、黒澤監督のあの映画にでているあの俳優というのは...」みたいな話を突然しだすこともあるそうです。したがっていくら念入りに準備をしても、唐突な話題がでてきて、通訳しきれないという場面もあります。だからこそ「準備しすぎる」ということは決してない、と先生はおっしゃっていました。通訳現場において知識は必ず役に立つし、たとえ仕入れた情報の出番が最終的になかったとしても、勉強したということが自信につながるのでよいパフォーマンスができるとのことでした。

実はこの単語リストに関しては逸話があります。それは今井先生がマーティン・スコセッシ監督の『沈黙ーサイレンスー』の記者会見の通訳を担当した時のことです。この時先生はひょんなことから、監督側のスタッフからの要望で自分が使うはずだったキャストリストを差し出すことになり、リストなしの状態で挑んだ、というハプニングがあったそうです。ことの経緯は、会見前に言いたいことを整理していた監督が俳優名をど忘れしてしまい「あの役誰だったっけ」とスタッフに問いかけるもスタッフも分からず、単語リストの一環としてキャストリストも作成していた今井先生が助け舟を出したことがきっかけでした。そこでスタッフが先生に「キャストリストを監督に使わせてはもらえないだろうか」とお願いをしてきたため、まさか断るわけにもいかず、自分のノートからリストをビリビリとやぶって監督に手渡したそうです。この時先生は内心「キャストリストが!!!ない!!!」と焦りつつも、記者会見の通訳業務を遂行したという逸話でした。

今井先生がスコセッシ監督の作品『沈黙ーサイレンスー』の会見通訳をした際に行った数々の準備については、以下でもう少し詳しく触れていきます。

◾️原作や関連著作を読み込む
『沈黙ーサイレンスー』(2017年1月日本公開)は、スコセッシ監督にとっても日本の映画界にとっても大変重要な作品で、今井先生も本作の会見通訳をするにあたって、ご自身の芸能通訳人生の中でも一番といっていいほど準備をして臨んだそうです。期間で言うと、本番の1〜2ヶ月前から猛勉強を始められたとのことです。そして一番大事な準備の内容ですが、先生は以下のことを中心に行ったとのお話でした。

▶︎▶︎作品を見る、原作を読む、原作の英訳を読む、原文と英訳の違いについて考える、配給会社の提供資料を読む、脚本を読む、監督の話に出てきそうな日本映画の監督について総復習する、監督が話すであろうイタリアのネオレアリズモ映画の作品について復習する、監督がネオレアリズモ映画について解説しているDVDをみる、監督の過去作品で未鑑賞だったものを鑑賞する、監督の関連書籍を読む...

最後が...で終わっているのは、先生のリサーチがこれだけにとどまらず、どんどん広がっていったということを表現するためです。単語リストも、最終的には10枚ぐらいにおよぶものが出来上がったそうです。(本番で、まさかの一部を監督に提供することになってしまった例の単語リストです。)

◾️アメーバ状に広がるリサーチと優先順位
今回の講義で大変印象に残ったのは、「下調べというものは一点の議題からアメーバのように、血管のように広がっていく」という先生の表現です。これは、準備のリサーチはやろうと思えばいくらでもできて、キリがないというお話でした。受講生からは、限られた時間の中どのようにして優先順位をつけているのか、という質問も出てきました。先生の優先順位としては、もちろん案件によってケースバイケースではありますが、①当該作品をみる、②配給会社の提供資料を読む、③監督の過去作品を見る、④原作があれば読む、⑤出演俳優のフィルモグラフィーの中の作品をみる...という順番で進めているそうです。そしてこれらの項目に加えて、どの案件にも欠かせない準備として、話者のインタビュー映像をみておく、というポイントもあります。英語通訳塾でも、話者の基本的なスタンスや話し方を押さえておくのに過去の映像をみておくことは非常に重要なポイントだと習いました。今は様々なメディアから参考映像を探してくることができるので、この準備は念入りに行うことができるし、念入りに行う必要があるということが、今井先生の講義を通じてよく分かりました。

授業を聞き始めて最初の方は、プロの膨大な準備量に圧倒されるばかりでしたが、先生もこのように優先順位をつけながら1つ1つこなしているというというお話を聞くことができたので、少し安心しました。今回聞いたお話を参考にして、自分の今後の学習にも生かしていきたいです。

4.最後に

今回の講義を通じて、通訳者の本番でのパフォーマンスを成り立たせているのは実は舞台裏の準備だということが、本当によく分かりました。また、映画好きの身としても今回の講義は本当に面白い情報が満載で、録画された動画を複数回見返して楽しみました。

プロの仕事の裏側をのぞくことができる機会というのはなかなかないのでこの講義を聞けたこと自体、大変貴重な経験となりましたし、プロの通訳者が普段どのようなことを考えていて、どのように業務に取り組んでいるのかなど、どこをとっても参考になるお話ばかりでした。最後になってしまいましたが今井先生、このような愛のあふれる熱い講義をしてくださって本当にありがとうございます。吸収できる部分は全て吸収して、これからの自己学習に取り組んでいきます。

英語通訳塾も現在佳境で、これから同時通訳演習振り返りも講義振り返りも続々ブログが上がりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!



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