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とんこつだけじゃない一風堂の底力、一杯の小宇宙「四季のラーメン」

一風堂は博多のラーメン店として、なめらかなとんこつラーメンを提供しています。二大看板「白丸元味」「赤丸新味」は皆様もご存じのところ。

38周年、2023年10月16日にリニューアル

「とんこつ」のイメージが強い一風堂ですが、実は、創業当時から「江戸式醤油ラーメン」を販売するなど、ラーメンの可能性を広げたいという想いで様々なラーメンを創作してきました。今回のnoteは、そんな、一風堂のラーメンの可能性への挑戦ともいえるイベント、今日の一杯につながる「四季のラーメン」の歴史を振り返ります。


一風堂の創作の歴史「四季のラーメン」とは?

「四季のラーメン」は「博多一風堂」大名本店でスタートしたラーメンイベントだ。河原成美を筆頭に全国から店長たちが本店に集結。四季の息吹を盛り込んだ、その日だけしか味わえない創作ラーメンを提供してきた。皆様に感謝の気持ちを届けたいー「ありがとう」の想いと、ラーメン職人として培ってきた技術と歓声を凝縮させた一杯を、河原は創業の地でつくりあげてきた。
創業から二十四年。一風堂は福岡をはじめ関東、関西、中部、東北、北海道に三十七店舗を構えるに至った。昨年三月、海外進出の足掛かりとして、アメリカ・ニューヨークに暖簾をあげた。二〇〇九年、海外進出第二弾として、シンガポールへの出店を予定している。
「その前にやるべき挑戦がある」。河原は一人のラーメン職人として、ある決意をした。一流の品、一流の技、一流の人が集う"世界の銀座"に、自らが生み出す渾身の創作ラーメンで挑む。世界との真っ向勝負が、銀座から始まった。

2009.2.「河原成美 四季のラーメン 作品録」当時の原文より

福岡から東京、そしてNYで開催

四季のラーメンは福岡にある創業の地、「一風堂 大名本店」に全国から店長が集い、一日だけしか味わえない創作ラーメンを提供するイベントです。
そのイベントの作品の世界観のためだけに、モチーフ、コンセプト、スープに麺、トッピング、さらに器やユニフォームまで用意をしていました。

期間は第一章と第二章に分かれ、2015年まで創作したラーメンは30種類にも及びます。開催地も、福岡に東京、さらにNYと一風堂の関東、世界進出に合わせて広がっていきました。
ラーメン職人はもちろん、飲食業界の皆様からラーメンフリークの方まで「ラーメンの可能性」を提示し続けた一風堂の渾身のイベントです。

全30作にわたるラインナップ

30作目のラーメンコースに至るまで、塩ラーメンにフルーツの和え蕎麦、スパイスにお茶漬け風、真っ赤な四川風スープに豆腐、精進料理のモチーフなど、錚々たるラインナップは一風堂の「ラーメンの可能性に挑戦し続ける」想いと、現在の商品開発力にも通じています。

第一章、2002~2009
2002.06.26、第一作「誕生」(福岡・大名本店)
2002.09.26、第二作「生きる」
2003.02.05、第三作「友」
2003.06.26、第四作「向夏」
2004.04.27、第五作「知新」
2005.03.30、第六作「春かすみ」
2005.08.25、第七作「涼風」
2006.02.22、第八作「麺王」 ※TBS系列「麺王」優勝記念
2006.10.14、第九作「神無月に誘われて」
2007.09.03、第十作「GENKAI TAICHA」
2007.12.14、第十一作「12 in NY(ディッセンバーインニューヨーク)」
2008.2.20、第十二作「花の東京ど真ん中」(東京初開催)
2008.6.14、第十三作「W」
2008.10.23、第十四作「あら燻薫」
2009.04.01、第十五作「GENKAI TAICHA 2009」
2009.05.28、第十六作「久留米荘はロックだ!」
2009.07.03、第十七作「ロック 久留米荘!」
2009.08.06、第十八作「真っ赤な太陽」
2009.11.16、第十九作「お披露目ちゃんぽん」

第二章
2013.04.30、第二十作「ラーメンはロックだ!」
2013.08.11、第二十一作「SHO-JIN 2013」
2013.10.2~4、第二十二作「SHO-JIN in NY」(NY初開催)
2013.12.18、第二十三作「2013ファイナル蛸だしラーメン~たこ・蛸・TAKO~TAKOふんじゃった」
2014.04.23、第二十四作「Zuzutto ver.2(黄金に煌めく超絶コンソメヌードル)」
2014.07.21、第二十五作「GION」加茂茄子のヴィシソワーズ麺~京野菜を添えて~
2014.10.16、第二十六作「極」
2014.12.15~17、第二十七作「黄金に煌めく 超絶コンソメラーメン zuzutto ver.NYC」「チキンラーメン」「博多水炊き」
2015.03.19、第二十八作「チキンオニオンラーメン」「ナベノチカラ(博多水炊き)」
2015.07.16、第二十九作、「彩りの冷製麺『シャングリラの夏』」
2015.12.05、第三十作、「Ramen Course as FINAL」(コース料理、2杯のラーメンを中心とした全6品)

2018年、社内資料より

2007.9.3、第10作「GENKAI TAICHA」

2007年に行われた、第10作「GENKAI TAICHA」の準備のようすをここでご紹介。一風堂大名本店で1日限定で開催し、限定150杯。

河原成美、一風堂 大名本店前にて
「追いだし」入れ。うつわにもこだわりあり
衣装にもこだわりあり
GENKAI TAICHA 2000円(2007年当時)

麺は国産米粉と強力粉、スープは地鶏ととんこつの清湯(透き通ったスープ)に鹿児島・枕崎の本枯れ鰹節や鯵(アジ)など数種類の魚と北海道・本利尻の一等昆布の和だし。付け合わせには、甘い味付けたまご、沖縄長寿豚の塩豚チャーシュー、漬物、醤油で香ばしさを出したあられ、佐賀・有明産鹿島の一番のり。俵むすび。清湯スープに白茶をブレンドした追い出しを添えています。

おすすめの食べ方の提案も。まずはラーメンに付け合わせを入れて楽しむ。追いだしは俵むすびにかけてお茶漬け風にしたり、ラーメンのスープに加えて新たな風味にするもよし。

「先味」「中味」「後味」を意識し、追加食材で味の変化を楽しめるようにと、今の一風堂でも大切にしている「ラーメンの楽しさ」をふんだんに表した一杯です。

第一作「誕生」

生命息づく地球に創作のヒントを得た記念すべき第一作

ここで、アーカイブの中から、第一作と第二作を特別にご紹介。ここから、2015年の第三十作、「Ramen Course as FINAL」(コース料理、2杯のラーメンを中心とした全6品)まで、四季のラーメンはつながっていきます。

第一作「誕生」2002.6.26

海と陸の比率をモチーフに海の素材を7割、陸の素材3割でまとめた、清々しいまでにすっきりとした塩ラーメン。弱火でフツフツと静かに炊いたスープは、「生命の塩」を意味する沖縄のヌチマースとモンゴルの岩塩で調味。力強い風味の麺には、河原の故郷、福岡県城島町の地粉を採用。トッピングはチャーシュー、ホタテ貝柱、豆芽。シンプルながら『誕生』という名前にふさわしい輝きが息づく、記念すべき一杯です。

2018年、社内記録資料より

第二作「生きる」

懸命に生きる喜びとたくましい生命力を力強く表現

第二作「生きる」2002.09.26

スープは第一作である『誕生』と同じ素材を用い、強火でグツグツと炊き上げました。素材の旨味をギリギリまで引き出すことによって、旨味の濃い、力強さを感じさせるスープが完成。調味料には小笠原諸島の塩と小豆島の生醤油を採用。また、玄米粉と全粒粉を配合して打ち上げた麺は、蕎麦を思わせる食感。ゴツゴツと厚みのある武骨な表情の器に盛って、人間一人ひとりの個性と、懸命に生きる人間のたくましい生命力を表現。

2018年、社内記録資料より
2009.2.「河原成美 四季のラーメン 作品録」

一風堂にとってのラーメンとは?

同じジャンルのラーメンでも、スープや油のかさね方、トッピングに麺、その手順によってたくさんの種類が誕生します。

シンプルなラーメンと、こだわりぬいたラーメン。国民食としてのラーメンの魅力と、職人として突き詰めた一杯と。ラーメンが誕生してから、今では地域、ジャンルを越え、世の中に様々なお店も生まれ、軒を連ねています。

創業者の河原はよく「ラーメンは無限の可能性を秘めている」と語ります。創業からはじまり、いまにつながる白丸元味、赤丸新味。からか麺。季節限定の味噌赤丸やつけ麺。イベント「四季のラーメン」にも全力を尽くします。その一つ一つ、一杯を経て今の一風堂へとつながっていきました。

昔から一風堂では、リバイバルを行うときに、そのとき、その時代に合わせてラーメンを作り直します。「お客様が食事をいただいたあの頃」の味と進化しているお客様の「おいしさ」に追いつけるように、「今もおいしい」と言っていただけるために日々変わり続けています。

新横浜ラーメン博物館「あの銘店をもう一度」

一風堂は、2024年に30周年を迎える新横浜ラーメン博物館「あの銘店をもう一度」プロジェクトの最終期間、2024年2月9日(金)~ 5月12日(日)に出店いたします。

1994年に誕生した「新横浜ラーメン博物館」、その創業時、第一期のメンバーとして声をかけていただいた一風堂はまだ福岡の大名本店に一店舗だけでした。(※太宰府インター店は「爽風亭」として営業)

一風堂の創業者・河原成美は、前例のない未知の事業に対して初めは乗り気ではなかったものの、「新横浜ラーメン博物館」創業メンバーたちの熱意に惚れ込み出店を決意(関東初出店)し、開店後の大盛況に驚き、翌年、関東一号店となる恵比寿店(東京都)をオープンするに至ります。河原は1994年のその後の飛躍と様々なご縁に感謝を込めて「ラー博への出店が無ければ今の一風堂は無かったかもしれない」と振り返ります。

1994年に販売していた「あの頃」のラーメンを、いまにアップデートして皆様をお待ちしております。これからの未来に向けて進化し続ける、一風堂のラーメンを日本全国、イベントで、ぜひお楽しみください。

■一風堂公式サイト

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