上から下へ流れ落ちる
最近おもうこと
タイトルのとおり、
あらゆる物事は上から下へと流れる。流れ落ちる。
右から左へなめらかに通過するわけではない。
そういえばムーディ勝山っておったよね。
右から何かがきてて左に華麗に受け流す人。あのひとどこいったんかな。まだ受け流し続けてるんかな。まあいいや。
上から下へと流れ落ちる。。
川の流れを想像していただけたらいいかなと。
山中の湧き水は山を下ってやがら大きな流れとなって下流となり海へとほおりだされる。
それは色んな事象にあてはまるような気がずっとしてるし最近そう感じることが多い。
なにごとも、ある事象に関してどっぷり浸かっている、すなわち精通している者から大衆へ、つまり「にわか」へ行き渡る。
例えば、最近巷ではやりの某ウイルス感染症。
デリバーするのは若年層や生産年齢の方たち。感染数の波は2.30代から高齢者にうつる。
逆に重症者の例。
重症化しやすいのは比較的内臓機能の弱い或いは基礎疾患を持つ中~高齢者。そこから拡がれば当然基礎疾患をもつなどした若年層へうつっていく。
例えば、面白いゲームやはやりもの、ファッションはその分野にアンテナを貼ったパイオニアが率先して自分の娯楽として共有してそれが大衆に広がり、広がりきればそれは大衆文化として認知され、生活の一部となり流行っていたものは時代遅れとして認知され、棄てられる。下流から海へ放出される。
上から下へと流れ落ちると表現したのには理由がある。
落ちるというものには重力加速度が伴う。
高層ビルの屋上から身を投げた自殺者は、自分自身の身体にかかる9.8m/s^2の重力加速度に耐えきることができず、地面に到達する前に気を失ってしまうか、もしくは身体が原型を留められずに空中分解してしまうといったことがあるらしい。
ちょっと気味悪い話で申し訳ないが、そういった具合に、流れ落ちていくあらゆる物事においても、重力のようなもの(時には原型が捻り切られるくらいの)がかかるとぼくは考えている。いわゆる、情報の尾鰭のようなものである。
より、大衆に受け入れられるために、様々な情報はわかりやすく、簡潔である必要がある。
そのためには、アンテナを張っているパイオニアが享受していたその情報ありのままの核心部分を削ぎ落としてまで受け入れられるように細工がされることもある。そうでもしないと情報は上から下へと流れないからだ。流れないというよりは、重力がかかることによって速度が増し、受け手はより受け取りづらくなる。すなわち、よりシンプルな情報が下に流れ落ちていくということだ。
誰かの手によって情報を流れ落ちるようにするために、加速度をつけるために、いたって自然な社会の流れの一部として、細工はなされているといえよう。
昨今のマスメディアにはつくづくうんざりしている。
仕事柄、医療関係のトピックを嫌でも吸収する立場であるが、医師免許を持っていないので正しい知識をその都度調べながら仕事に取り組む。仕事だからではなく、元来、知識の吸収とはそういうものだ。目の前にある情報に対してあるがままで受け入れる方が人間は難しいのではないか。
何か美味しい話があれば裏になにか罠が潜んでいるのではないかと石橋を叩きまくってみるのは当然のこと、信頼出来るソースを得て自分の目で捉え、必要であれば再検証する。ごくごく普通の話である。
私の仕事に関連するトピックにおいてはマスメディアの報道はえげつなくひどいことがある。
えげつなくひどいとは。
コロナ禍における、受け手のアジテイト(=反応による購読数の増加)を第一に狙ったデタラメの記事が多いという話。
例えばこの記事。
1か月前には日経新聞の一面になった、コロナ禍におけるオンライン診療における記事。
活用ほぼゼロ とすることによってオンライン診療の体制が確立されておらず、医師にやる気がないかの如く取り上げられているが、全くもってナンセンスである。
というのも、筆者が行っている都道府県調査は、厚生労働省令和2年4月10日付事務連絡に基づいたオンライン診療の月別実施数である。
この事務連絡におけるオンライン診療は、コロナウイルス感染症拡大に際し、不要な外出自粛や医療機関の制限に対応するためのオンライン診療における実施数の調査であって、コロナ患者に対する健康観察のためのオンライン診療ではない。この記事の書きぶりからするに、完全に後者の数値のように捉えられるが、完全にミスリードである。
さらには、医師は動かずと表現することによって、あたかも医師に責任があるように書いているが、オンライン診療の診療報酬の関係や、診療における制限(ハイリスク薬や向精神薬の投与不可等)等法整備の観点、はたまた患者のハード面での対応の難しさ等からオンライン診療の一般への浸透は課題が多いと考えられる。この記事では医師に全体的な課題があるようにリードされているが、このオンライン診療の普及という課題においてはもっとフォーカスを当てるべき箇所が他にもあると言える。
このように、当記事に投げかける疑問符は多々あると言えよう。しかし、もしこの記事の内容について意義を唱えて上記の新聞社にクレームを入れたとしても、筆者の書きぶりがこのような表現を用いているため、表現の自由の観点から問題はない、と回答されてチャンチャン🎶というお話だろう。
これがもし上流から下流に落とすために仕組まれたものであるならば、メディアの質の低下が一般人の誤った認識の増幅を呼んでいると考える。
ワクチンのデマ拡散についてもそう、某ウイルス陰謀論についてもそう、アジテイトが第一義にくるからこそ無数の情報の海にさらわれた人たちは呼吸ができず溺れていく。だが、メディアは最終的にはそういった人たちの首を政治に対してつきつければ何をやっても許される。このむずがゆい状態を何とかしなければ、デジタルデバイドはこの先も広がっていくばかりである。
なにごともスマート化(笑)がすすむ現代においては、今後、さらに多くの情報があらゆる方向から猛烈な速さで目に飛び込んでくるようになるだろう。
そういった情報にこそ、本来私たちがそうであったように、速さを安易に受け入れず、しっかりと己の嗅覚を以て情報の取捨選択していかなければならない。
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