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みんなとおこたでおでんを囲みたい Part24

はあ〜もうすぐ冬、いやだなあ、寒いし。
冬はみんなとおこたに入っておでんを囲みたいよ。

社会にでるとこれまでの人との繋がりが薄くなるとは聞いたことがあったけどそれを最近はひしひしと感じている。
有難いことに現状を気にかけてくれる友人知人は多く、とても感謝している。
逆に置かれている環境が違えども人生の新しい局面に差し掛かっている人を気にかけている自分もいる。
けど、やっぱり人は最終的に孤独なもので、いくら繋がりはあってもふと気づけば遠すぎて手が届かなくなっている。
この人は最近会ってないなあとLINEのプロフィールをただじっと見つめる、、、そんな人ばかりである。

最近インスタグラムでアカウントを変えた知り合いがいた。アカウントを変えて一度目の投稿にハッシュタグで #人も断捨離 と書いていた。人との繋がりは果たして断捨離と言えるのか?と思ったし、自己肯定感の低い自分からすれば断捨離ってなんか烏滸がましく思われないかな?なんて思った。
けど、人は絶えず環境や繋がりが更新されていく中で、もちろんその人のパーソナリティの面や考え方、将来設計ですらどんどん更新される。それなのに過去のその人がそのままその人であり続ける訳がなく、繋がりとしては日々アップデートされるその人自身に近い人間の方が生身のその人に触れているに違いない。そう思えば服が毎年のブームによって更新されてたくさん棄てられる、つまり断捨離されるように人間関係も断捨離し得るものなのかなあとも思わざるを得ない。ただそれでも自分は人間関係を意識が繋ぎ止めるその人同士の私怨だと解釈してるので捨てきれるものでは無いと考えてはいる。
まあでもそれが助かってか、やはり環境がかわるとより前の環境での人たちとはどんどん距離がおかれ、繋がりが薄まってるというのを意識するようになった。中学時代の友人なんてもうSNSでみるだけになってしまった。

だからこそ、社会に出て空虚な孤独を感じてしまう前におこたでみんなとおでんを囲みたい。記憶が曖昧な幼稚園の頃でもいい。24年間生きてきた年毎で仲良かった人たちと24回やってもいい。わかりあえずに喧嘩をしたっていい。冬を乗り越えるために凍死してしまわないだけの熱がほしい。できるだけ温度を保ったまま現世に繋ぎ止めてほしい。つまり人が恋しい自分を好きでいたい。それだけ。

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