2024年一橋大日本史第2問答案例

答案例①…史料Bが特定できた場合
1A保安条例。B治安警察法。C治安維持法。
21880年代後半、国会開設の時期が近づくと、井上馨外相の条約改正交渉の失敗を契機に、三大事件建白運動が起こり、自由民権運動が再高揚した。これに対し、第1次伊藤博文内閣は保安条例を発令した。
3集会条例。治安警察法が制定された当時、産業革命の進展に伴い、劣悪な労働環境に置かれた労働者が労働組合を結成し、資本家に抵抗する動きを見せていた。
4日ソ基本条約の締結によって、日本とソ連の国交が回復したことや普通選挙法成立により、貧困層の政治参加が可能となることを背景に、影響拡大が想定される共産主義や無政府主義の結社を弾圧するため、第1次加藤高明内閣によって治安維持法は公布された。その後、田中義一内閣期に同法は改正され、結社の協力者も処罰可能としたほか、国体の変革を目的とする結社の組織者・指導者には最高刑として死刑を適用した。
5GHQが発令した人権指令により、廃止された。(400字)

答案例②…史料Bが特定できず、問4で思い切り書く場合
1A保安条例。C治安維持法。
21880年代後半、三大事件建白運動が起こり、自由民権運動が再高揚した。これに対して、第1次伊藤博文内閣は保安条例を発令した。
4第2次護憲運動を受けて成立した第1次加藤高明内閣は普通選挙の実現を公約に掲げており、普通選挙法の制定を実現しようとした。しかし、普通選挙法成立によって、貧困層の政治参加が可能となることで、共産主義勢力の影響力拡大が懸念された。また、同時期に日ソ基本条約が締結され、日本とソ連の国交が回復したこと、関東大震災時に発生した甘粕事件・亀戸事件を契機に、虎の門事件に代表される無政府主義者による過激なテロが相次いでいたことも、治安維持法が制定される背景となった。その後、田中義一内閣期に同法は改正され、結社の協力者も処罰可能としたほか、国体の変革を目的とする結社の組織者・指導者には最高刑として死刑を適用した。
5GHQが発令した人権指令により、廃止された。(397字)

答案例③…予備校講師としての答案例
1A保安条例。B治安警察法。C治安維持法。
21880年代後半、国会開設の時期が近づいたことを背景とし、井上馨外相の条約改正交渉の失敗を契機に、三大事件建白運動が起こり、自由民権運動が再高揚した。これに対し、第1次伊藤博文内閣は保安条例を発令した。
3集会条例。集会及政社法。治安警察法が制定された当時、産業革命の進展に伴い、劣悪な労働環境に置かれた労働者が労働組合を結成し、資本家に抵抗する動きを見せていた。
4第1次加藤高明内閣期に、日本とソ連の国交が成立したことや普通選挙法成立によって、貧困層の政治参加が可能となることを背景に、影響拡大が想定される共産主義や無政府主義の結社を弾圧するため、治安維持法は公布された。その後、田中義一内閣期に目的遂行罪を導入して、結社の協力者も処罰可能とし、国体の変革を目的とする結社の組織者・指導者には最高刑として死刑を適用した。
5GHQが発令した人権指令により、廃止された。
(400字)

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