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東大日本史答案例

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#東大受験

1999年東大日本史第1問答案例

白村江の戦いの敗北に伴い、天智天皇は防衛体制強化の1つとして、初の全国的な戸籍である庚午年籍を作成した。朝鮮半島における唐と新羅の抗争により東アジア情勢の緊迫が続く中、壬申の乱により権力を掌握した天武天皇は、豪族ではなく、中央政府による軍隊の編成を企図して政策を進めた。その後、持統天皇の時に庚寅年籍が完成して、戸籍作成により人民を戸の単位に編成して把握し、戸籍に登録した成人男子を戸から1人を徴兵す

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1999年東大日本史第2問答案例

室町文化は、惣村や町など地縁に基づき、自治的に運営された共同体が形成されたことを背景に、猿楽能・喫茶・盆踊り・連歌など、共同体を中心に営まれ、それに参加することで共同体の団結力を高めることを目的とした寄合の文芸が流行した。これらの民衆文化は公家・武家文化に影響を与えた。この中で、中央と地方、身分を越えた文化的交流や文化の融合が進展し、新しい文化が形成された。(180字)

1999年東大日本史第3問答案例

商人の家は武士の家同様、長子単独相続が原則であった。ただし、武士の家禄が原則世襲で、失う可能性が低いのに対し、商人の家産は家業の状況に左右されるため、相続者には経営能力が求められた。よって、長男に能力が問題視された場合、長男以外の親族や他家からの養子が相続する場合があったが、相続者は男性に限られた。(150字)

1999年東大日本史第4問答案例

明治初期、政府は学制公布で欧米に倣った近代的な学校教育制度の整備を開始し、その後、政策の迷走を経て、明治中期には小学校から帝国大学に至る学校制度を整備して、初等教育を義務化し、忠君愛国の教育理念を示した。明治末期に初等教育が定着したことを背景に、大正期には高等教育の拡充が図られた。15年戦争期には戦争への協力を目的とした国家主義教育が徹底され、末期には学徒出陣・勤労動員・学童疎開などの影響で教育は

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