なぜ女性用の車はないのか?
みなさん、こんにちは。
わたしはとある日本企業のサラリーマンです。所属する部署で、2年前まで管理職に就いていましたが、メンタル不全に陥り管理職を降りました。
気力と体力が回復したら、また管理職に復帰してバリバリと仕事に励もうと志してきましたが、最近自分が就いていた仕事を第三者視点で見ているうちに、「なんて非生産的で、非効率な仕事をしていた、もしくはやらされていたのだろう」と考えるようになりました。果たして自分の仕事のどのくらいに意味があるのか、もしくは自分の働き方が効率的なのか、という視点で日々考え、本を読んで勉強するようになりました。まだまだ勉強中ですが、自分の頭を整理する意味も込めて、noteを使ってアウトプットしていきたいと考え、この記事を書いています。
今回参考にした書籍はキャロライン・クリアド=ペレス氏の「存在しない女たち」です。女性権利活動家が書いた本書は、データや事例を用いて、女性視点で、世の中に溢れる「男性が気づかない」ジェンダー・ギャップを暴いています。本書は大変なボリュームがあり、読むのは大変ですが、男性にはない視点や気づきを与えてくれる良い本だと思います。
キャロライン・クリアド=ペレス氏の指摘は多岐に渡りますが、私にとって最も印象深いページを今回取り上げます。それは自動車の設計についてのお話です。
自動車の設計は男性中心に行われている
本書は、女性が自動車事故で男性よりも、重傷を負ったり死亡したりするリスクが高いという問題を、詳細なデータに基づいて説明しています。
その原因として、自動車の設計が男性中心に行われていることを指摘しています。
具体的には、衝突安全テストに使用されるダミーが、男性の体格に基づいていること、女性ドライバー向けのシートベルトが開発されていないことなどを挙げています。
女性視点が欠けていることに気づかなかった自分
この本を読んで、それまで、自分が運転する車に「女性が乗車した場合の視点が欠けている」という発想はまるでありませんでした。また、私の家族や友人・知人の女性も車に乗りますし、運転もしますが「男性視点で作られている車」に対して、女性が不平不満を言っていることを聞いたことがありません。
それは「女性に不満がない」のではなくて「車は男性用に作られていることが当たり前」と女性が諦めているからではないか、と考えるようになりました。
私は女性ではないので、女性の視点で車に乗ることはできません。ですが、
女性に「男性視点で作られた車を乗ることを受け入れろ」とは思えなくなってきました。新車のコマーシャルはたくさん見ますし、女性が運転しているコマーシャルもあります。ですが、よくよく思い出すと、「女性が運転することを想定して設計された車」を謳ったコマーシャルは見たことがない。
取り扱われているデータの一部が古く、現在はもう少しデータの数値は改善されているかもしれません。しかし、社会が「女性の視点を欠いたまま物事を決めている」のは、2024年現在も変化していないと思いますが、皆さんどう思われますか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?