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Mrs. GREEN APPLEはなぜヒットしたか

 「書きたいことを書く」をモットーにnoteやっております、普通の理系大学生です。

 今回はMrsの記事第2弾です!(もはや理系も大学生も関係ない。)

 前回のMrsの記事がなかなか好評でして、ここ半年の記事で最も閲覧して貰えました。特に僕の知り合い以外の方が沢山見てくださって嬉しい限りというか、Mrsの力をひしひしと感じますねぇ。

 そんな一度記事にすると多くの人から注目を集めるMrsですが、なぜこんなにも人気になったのか、いつからこんなにみんなのMrsになったのかを個人的な視点でまとめてみたいと思います。

ヒットすると思ってたんですよ!

 まちがいなく売れる!こんなに素晴らしい曲を書くんだから。


 ってそんな非論理的な話で終わらせるわけにはいかない(これだから理系は…)。歌詞がいいとか、歌がうまいとか誰でも聴いたら分かるようなことをもっと深く、それ以外の側面からも考えてみたい。

非常にメンバー同士の仲が良い

 まず最初に言いたいのがこれ。ぶっちゃけ、これが1番大事!

 Mrs追いかけている人なら周知の事実だとは思うけどこれ無しには前へ進めない。

 Mrsの曲は全て大森元貴が作詞作曲編曲を1人で行っていることを知っている人は多いかもしれない。さらに、大森元貴はソロ名義でも活動している。これだけでは大森元貴はバンドを組まなくても売れたのではないかとも思う(ほとんどの楽器は操れる模様。なお、楽譜は書けない←メンバー頼みだった)。

これが大元の大森元貴
(最近は共同編曲もある)

 とはいえ、僕はMrs. GREEN APPLEというバンドの形だからこそここまで国民的な存在に慣れたのではないかと確信している。本人もバンドという形にこだわって仲間を集めてデビューしたと語っている。

 しかし、グループで活動するということは人間関係の問題もついてくるのが常である。世の中のどれほどのバンドが方向性の違いや内紛で活動を諦めていったことか。

 そんな中、Mrs. GREEN APPLEはとても仲のいいバンドである。それをアピールポイントにしてたぐらいに。これはメンバー2人が脱退する前の頃からずっと変わらず。だからこそ2人が脱退するという話はそう簡単に納得はいかなかったし、どんな裏事情が…と勘ぐらずには居られなかったのである。なぜ脱退したかの想像はこの後に書き連ねている。

これはテレビでもタイアップでもなく
ただのプライベートな5人
今に比べるとスター感がない。

 ではここから、Mrsが国民的バントになるずっと前まで遡ろうと思う。

とにかくものすごいスピードで曲をリリース

 これは活動初期の頃に特に顕著であった。

 初の全国流通盤ミニアルバム「Progressive」を発売した2015年2月から、メジャーデビューを経て大ヒットを記録する2019年8月発売の4thフルアルバム「Attitude」まで、この間たった4年半で怒涛の83曲をリリースしている。

 最近はデジタルシングルとして1曲ずつリリースする形態も増える中、これは3週間に1曲の新曲リリースを上回るほどのペースであり、やはり驚異的である。

 中でも印象に残っているのは、ニューシングル発売日のラジオで次のアルバムを発表するサプライズが行われたことで、さすがに「今はこの新曲の余韻に浸らせてくれよ」とありがたいはずなのにツッコミを入れずにはいられなかった。もはや今日発売のシングルの宣伝というより、次のアルバムの宣伝みたいなカオス。

 まあそれもそのはず、2015年にはミニアルバム2枚(合わせたら実質フル)、それ以降4年連続でフルアルバムを出し、極めつけは2020年ベストアルバムリリースで「今年はアルバム出ないの?」という感覚のバグを引き起こしかねないヤバさなのだ。

(↑衝撃の17曲入り。これが真のフルアルバムかもしれん。てかこれダイジェストなのに気づいたら100万回も再生されてるやん。)

 常に新曲があることで、年中話題に事欠かず、ファンが飽きることなく増え続けるという効果は絶大でミセスはまだあおさを残しながらもうれていく。

 これは大森元貴の曲のストックの多さをなしに語ることは出来ない。この頃のインタビューで確か400曲くらいは持ち曲があると明言していた。全部聞いてみたいが、きっともうこの世に放たれることは無い曲がほとんどなのかもしれない。もし全て聞けるようになるとしてもそれは相当先の話になりそうだ。

 とはいえ、現に12歳で書いたメロディーを元に作曲された「はじまり」や15歳の時に完成していた「キコリ時計」、17歳の時の「ツキマシテハ」など過去に作られた曲のいくつかは今でも普通に聞くことができる。作曲当時の年齢を知ってから聞くと、その完成度には度肝を抜かれるが。

(↑憧れの人(MONGOL800)に自分の曲に参加してもらえるってどんな気持ちがするんだろうか。)

 一方、異常なハイペースは良い事ばかりでもなかったのではないかと思う。それが活動の休止とメンバーの脱退に大きく関与しているのではなかろうか。そもそも休止を言い出したのはリーダーの大森元貴で、彼も純粋に「休みたかった」と言っている。多忙を極めていたのであろう。

(どこかのインタビューで、
「もし休みがたくさんあったら?」
という質問にたいし、
「全てを忘れて作曲してみたい」
と職業病みたいなノリで返答をしていた。)

 それとともに複数のメンバーが今後一緒に活動していくことを困難に感じ、脱退を招く原因にもなったと考えられる。メンバーの仲はとても良かった上、ミセスは全ての曲が大森元貴作で音楽性の違いも結成当初からみな了承済みであったと思われる。それゆえに圧倒的才能の元におけるプレッシャーが相当なものであったのかもしれない。

5人の最後のアー写


曲のジャンルが幅広い

 こんなに曲を出していながら、常に新しいジャンルを開拓してくれるのがミセスの素晴らしいところだと思う。ジャンルが多岐に渡る分だけファンは増えやすいだろう。

ポップな「StaRt」「サママ・フェスティバル」に始まり、

EDM調の「WanteD!WanteD!」や「WHOO WHOO WHOO」、

ロックな「インフェルノ」、「うブ」など。

数多くあるバラードもオーケストラバラードの
「鯨の唄」「umbrella」「光のうた」、

ピアノバラードの「私」や「Circle」、

ジャズバラードの「Coffee」などジャンルも曲調もさまざま。

さらに「春愁」や「僕のこと」といった合唱曲アレンジがされた曲や、

「点描の唄」や「Log」といったデュエット曲まで。

あげるとキリがないけれど、総じて言えるのはどのジャンルでもヒット曲を出していて、聴いたらなんかミセスっぽい思わせられてしまうということ。そして驚くなかれ、この曲全部フェーズ1の曲なのだ。(フェーズ1とはMrs. GREEN APPLEの活動休止前のことを言う。具体的には2020年7月8日までのこと)

これらのVarietyに富んだ名曲たちが、この後のミセスが駆け上がるスターダムの土台となっていく。

この時からジャンルの広さを示唆してたのか…


活動休止中も流れ続けた楽曲たち

 正直、活動休止になった当初は「もう復帰してもあの頃ほど活躍できないのではないか」と心の弱いファン(多分僕)は思っていました。結局、活動初期からの目標である「紅白出場」もタイミングを逃してしまったし。(最後の年は奇しくも髭男とKing Gnuの大ヒットでバンド枠の出場は埋まってしまった。)

 と、そんな弱気ファンの想像とは裏腹にフェーズ1のラストスパートでヒットした曲たちは約2年という長い期間をものともせず、身の回りで生き続けた。夏になればそこらじゅうで「青と夏」が流れ、TikTokでは「僕のこと」の動画がバズり、YouTubeでは「インフェルノ」の再生回数が伸びてコメント欄には海外の文字が踊り、カラオケでは必ずと言っていいほど「点描の唄」を誰かが歌っていた。そしてファンにとっては超長く感じた1年9ヶ月後にいよいよ活動再開。その頃にはみんな忘ているどころかファンは爆増しており、大注目の中で再開の火蓋は切って落とされた。

 表現は良くないかもしれないが、後になって振り返れば最もコロナの影響を受けたあの2年が休止の時期と被ったことも幸いだったのかもしれない。結局ライブが出来ない時期なのはどのアーティストにとっても同じだった。

フェーズ1最後のツアー「EDEN no SONO」
前から5列目で目と鼻の先の大森元貴に最接近した
と同時に腰と尻のそばまでコロナの脅威が迫ってきてた

まさかのto be continued

 書き始めたら止まらず、思いが溢れてしまい、あまりにも長くなりそうだったので一旦フェーズ1で区切ろうと思います。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。続きも近々出そうと思うので是非見てやってください。

前回の記事はコチラから👇


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