義母がしんどかった話

茨城に来たときは、旦那のホームグラウンドだから旦那は実家でリフレッシュしたり地元の友達と遊んだりして楽しんでくれるかなって思ってたのですが、蓋を開けてみたら別にそんなことはなく。じゃあ私が茨城にいる意味とは?ってなってしまった。

旦那は少し気難しい人なので、こっちに来たらもっと旦那のことを義母に丸投げしたり相談したりできるかと思ってたけど義母は働いてることもあって日々忙しいから二人きりで話すことなんてそうないし、対旦那では旦那の不機嫌にオロオロするか困った顔をするばかりだし、……私が母と息子の距離感がわかんないだけかもしれないけど。

そんなわけで、旦那が茨城にいるより私が地元の大阪にいた方がメリットが大きいと感じ、引っ越しすることになりました。


茨城に来た当初、私は義母との距離を間違えていた。

というのも、義母が最初「本当の娘のように思うからね」と言ったのをバカ正直に信じて、私も実の親に持つような愛情を持って接しようとしまったから。

私の体調が悪いこともあって、義母が甲斐甲斐しく我が家の世話を焼いてくれるというのに、心を開ききれない自分にひたすら罪悪感を覚えていた。あるとき、パニックになって泣いてしまった私の背中をさすってくれた義母を心の中ではひたすら拒絶しており(それ以上触らないで!早く旦那に代わって!)と思ってしまったのも、今にしてみれば当たり前だ。数ヶ月前まで他人の距離だった人に不安定なときに触られて心地いいはずがない。

家事を手伝ってくれるのだから文句は言えないと、義母のどうしても洗い残しが目立つ洗い物にも何ヶ月も我慢した。最初はわざわざ洗い直すのも不義である気がして、洗い残しを見て見ぬ振りをするよう努めたがどうしても神経質な私が耐えられなくて、しばらくの間は義母が帰ってからこっそりと洗っていた。しかしその状態にも心が耐えきれなくなって、旦那に「お義母さんに洗い物はしなくていいって伝えて」とお願いするに至った。同じように、義母の洗濯物のたたみ方(おかんが遊びに来たときに義母のたたんだ洗濯物を見て苦笑しながら「独特なたたみ方やね!」と思わず言うくらいには、角と角があってない上に変なシワが入るたたみ方)にも耐えられず、たたみ直してしまう自分に泣いてしまうのを何度も繰り返してから、旦那に同様にお願いするに至った。

でも、この段になっても「義母にストレスを感じている自分」というのに一切気がついていなかった。

家事育児を全面的に手伝ってくれるし、人も良いし、そんな人をストレスに思ってはいけない、と無意識に考えていた。

義母の家事が雑なことを旦那に漏らしたときに「シングルマザーで子供二人を働きながら育てたんだから」とたしなめられたことにも由来して、義母を批判的に見てはいけないとひたすら自分に言い聞かせていた。

また、当時は私が使えるクルマを持っていなかったので、少々田舎のこの地域で、美容室に行くのですら義母に送り迎えしてもらっていた。私は義母を介してしかまともな外出ができなかった。

こうして義母に依存せざるを得ないが義母にストレスを感じ続ける生活が一年続いた。元気になれないために義母に頼り、更に元気をなくしまた義母に頼る。元気がなくなる原因がわからず、未来が真っ暗で絶望した。ついには自分が崩壊して衝動的に自殺未遂を起こした。

義母のせいみたいに読めるが、完全に私の独りよがりである。あとこのときの主治医が良くなくて、そのときの私に合っていない抗うつ剤を最大量処方して変更するつもりもなくその副作用で私は脈拍100/分にまでなっていて少し動いただけで息切れと動悸に悩まされていた。


私の自殺未遂と仕事の多忙が重なり、旦那はうつになった。

そして実の愛息子がうつになったので、義母は非常に動揺し「どうして?」と自問自答していた。私は動揺する義母を見て動揺した。私がうつであることには動揺していなかったのに……と。そこでようやく、「私は義母から実の娘のような存在と思われていない」ことに傷ついている自分を発見した。

そこからは、意識的に義母と距離を取ることにした。

義母のことを、実の母親のように思う必要はないと自分に言い聞かせた。

そうすれば、愛されないのに、愛せないのに、無理に愛する必要もないのだ。

私の変化は、義母も感じたのかもしれない。以前のように私に触れることはなくなった。私が不安定なときは、私の母に丸投げするようになった。

義母のことでイライラすることは今もあるが、今ならば「お義母さんの味噌汁は具の種類が多すぎて味が混ざって雑味が多くて好きじゃない」などと言語化することができるので、義母のことを好いたままで上手にイライラすることができる。

イライラを言語化できるようになってようやく、義母のことを気楽に好きになれた。

この過程は、親への反抗期から受容までの心の流れと似ていると感じた。ようやく私たちなりの嫁姑の親子関係を築けたのかもしれない。


よくTwitterで義母の愚痴を書いているアカウントがあるが、毒親ではなく普通の義母であっても、義母というのは嫁にとって特にイライラしてしまいがちな、嫌な距離感の人間関係なのかなと自分の体験を通じて思い直した。

私の地元に引っ越して、旦那が私の親と、私のようにならないように(嫁姑ではないからそんなに心配はしていないけれと)気をつけねばな。

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