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vol.8:多様性のファッション化

丁度1年前に書いた記事ですが、2022年5月現在noteで特集されているのが「多様性を考える」だったので、ハッシュタグを付けてみました。辿り着いて下さった画面の前の皆さま、ありがとうございます。

障害者家族コラムニストの川島田ユミヲと申します。

お久しぶりです。だいぶ時間が空いてしまいました。

家事と仕事の両輪を優先して、執筆から遠のいてしまいました。きっかけはなんだったかな。ゴールデンウィークで弟が施設休みになるからパソコンに向かう時間を作れなかった、とか、ちょっとホントにダイエットしないとまずい数値になったから「痩せるまで書かない!」みたいな意地を張ったりしていました。結果?結局大して変わってないけど、継続はしてます。10月の特定検診までに痩せて数値さげたるからな…!ほいで、家事と仕事と執筆の三輪車で、馬車馬の如く生きていくんだからな…!!

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そんな私の近況はさておき。よく情報収集にTwitterを利用しているのですが、

私のタイムラインにリツイートで回ってきたツイートを。↑「アプリを見せたら」のくだりは何のアプリかまではわからないのですが、重要なのは次のツイートの言葉です。

そう、まさしく。

当事者が全員そう思っているかと言えば、そうではないのである。

私の場合はいち “当事者家族” としての視点ですが、今日はこれについて書こうと思います。

弟が所謂 “重度の” 知的障害という判定を受けていますが、先天性という事もあり、物心ついた頃から “それがうちの弟” なので、

「重度知的障害」という言葉は「説明のために必要な言葉」として、こうして文章を書く時や申請が必要な時、弟の事を初めて話す方々に対して用いる程度です。あ、弟がどんな人なのかはコチラをどうぞ ↓ ↓ ↓

重度の判定基準はおそらく言葉が喋れない、サポートなしでは自分で身の回りの事が出来ない、などだと思いますが、先述した通り一緒にいる事であまり “重度” という事を感じていません。結構本人は自分のやる事、やるべき事、やりたい事を主張したり、行動で訴えたりしてくれるし。

じゃあ当事者ならびに当事者家族って、今まで言われた事や聞いた事に関してどう思ってるの?というのを、自問自答スタイルで答えてみようと思います。

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Q:障害がある=大変でしょう?

A:大変かどうかは、周りが決めることではありません。その大変さは当事者にしかわからない事もあるでしょうし、各々で負担を軽減するためのライフハックを実践している人もいます。

Q:障害がある事によって出来ない事があるのはかわいそう

A:出来なければ出来ないなりに楽しんでいます。出来る事をやっています。あと、対人に用いる “かわいそう” は、私個人的には「差別用語」だなあと思っています。“人生損してる” も、かなり主観的だなあと思っています。

Q:悲しい事件がある度に、障害者差別がなくなればいいのに、と思います

A:悲しい事件はもちろんなくなればいいと思っていますが、障害者差別はなかなかなくならないですよね。これに関しては “障害者” と “健常者” で、同じ人間なのに分け隔てている社会の構造に問題があるというか、制度を変えることはなかなか難しいので、我々障害者家族や当事者の歩み寄りが必要だと思っています。「障害者差別をなくそう!」と言う人はたくさんいますし、当事者がどんどん世の中に出やすい世界にはなっていると思います。しかし、車椅子バリアフリー問題などがあると「障害者がデカい顔するな!」みたいに心をボッコボコにされる事が未だにある。知的障害者に関しては、未だにセンシティブな扱いを受けている(気がしているだけです、あくまでも)。

語弊があるかもしれませんが、私は「差別をなくそう!を、なくそう!」と思っています。差別をなくそう、と言っているだけでは何も解決しないし、すべての障害当事者が差別されているわけではありません。ツイートを引用させて頂いたイズムス・シャーさんのように、各々が各々のイズムのもとに生きています。うちも弟が幼少期の頃は「障害があってかわいそう」とか言われた事はあってムカっ腹が立った事はありますが、かわいそうに見えてるんなら、かわいそうに見せないようにすればいい。私が重度のブラコンであるがゆえに、うちの弟ちょーかわいいから一緒にあーそぼ!という感じなのです。もうとにかく色々楽しい事をさせてあげたいのよ。出来る範囲でね。本人に無理のない範囲で。

もちろん、差別をなくそうという声が上がる事は少しづつ意識改革につながると思いますし、こうして画面の中でワイワイと訴えかけている私なんかよりも、行動に移している方がたくさんいるのも知っています。それでも、現実的な歩み寄りはまだまだ足りてないんだなあ、と思っています。コロナ禍がもう少し落ち付いたら、弟と色んなところに遊びに行きたいので、その時はどうか我々と一緒に遊んでください。私は大それた者にはなれませんが、弟と暮らす上での半径100メートルくらいの人たちにわかってもらえる人たちがいれば、それで充分です。私のように思っている障害当事者・障害者家族の方たちの半径100メートルの輪が全国各地にあって、その100メートル内にいた人たちが新たな輪を作ってくれたら、そのうち輪がくっついてどんどん大きくなったらいいな、と思っています。

Q:もっと多様性を大事に!多様性を受け入れる世界に!

A:これも先ほどの「差別をなくそう」につながる話なのですが「多様性、って言う人ほど “画一的” な人が多くなーい?」と思うのです。その “多様性” 、ファッション感覚で使ってなーい?と。「みんな違って、みんないい」って言う割には、ちょっと奇抜な恰好してたり足並み揃ってない人に対して、厳しい目を向けてなーい?とも。

だから私は安易に「多様性」という言葉を使いたくない。できることならば、言葉じゃなくて行動で示したい。

人間には “好き” “嫌い” という生理現象があるから、多様性を許容できるほど、器用じゃないと思う。いいな、とか興味あるな、と思ったら歩み寄ればいいし、嫌だな、とかちょっと違ったな、と思ったら、離れればいい。ケースバイケースですけどね。そう簡単にはできない場合もあるから。

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と、こんな感じですかね。何か他に聞いてみたいことがあればどうぞコメントでも、私の各種SNSのDMからでも結構ですので、お寄せください。私が肌で感じている意見でよろしければ、なんでもお答えいたします。

今日も長々とお読み頂き、ありがとうございました!


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多様性を考える

ハードルがあるのは障害者だけじゃない。「私たちは健常者だから」と言うそこのあなただって、職場や家族間での対人関係だったり病気したり大変な事(ハードル)が沢山あるでしょ?という意味で、エッセイのタイトルは「世の中全員、障害者。」と言います。おススメ&サポートして頂けたら嬉しいです。