見出し画像

輝かしく見える隣の庭



どうにも周りの人達が
幸せで満ち足りた人生を送ってる
ような錯覚が起きる。

美しい容姿だったり
持ち物など生活水準が高い様子
就いてる職業や肩書き
話し方や仕草など

様々な一片の情報だけで
勝手に色々想像?妄想?して
住む世界が違う人のように思えたりする
ことがある。

でも実際話してみれば
苦労や困難を経験していたり
現状だって追い込まれてる状況の人
だったりするから

妄想で決めつけちゃいけないなと
思う。

隣の庭は良く見えるってやつ。

そんなに人は
変わらなくて

悩みや苦しいことも
そんなに変わらない。


自分だけ特別苦労してる訳でもないし
困難なのも自分だけじゃない。

比べ出したらキリがないけど
どんぐりの背比べ。


自分の起きている状況の
反対側の存在が輝かしく見える
のかもしれない。


髪が長い時は短い人を
太っている時は痩せている人を
貧乏な時はお金持ちな人を

持っていないものを持っている人に
輝かしく見えるんだろう。


ないものねだりっていうのかな。


けれど
今在る現状に感謝できて
幸せに浸ることができたら
どうだろうか。


残りいつまでかの子供達と過ごせる時間、


離婚しても助けてくれたり一緒に
楽しんでくれる元夫の存在、


私のことを心配してくれる唯一の父親、


へんてこでポンコツないっぱちと
仲良くしてくれる友達や周りの人達


noteを書いてて読んでくれる人達


ご飯が食べられること


眠れること


出かけられる健康な体があること


有り難いことばっかりだった。



常ではないからこそ
今、在る人、在ること、在るものに
有り難いなぁと感じることばかり。


鼻が詰まってる今、
味がするご飯を食べられる幸せや

健康がどんなに大事かと
つくづく感じる。


体調が良くない時は
身体を休めて休養できることに
有り難い。

どんなに幸せそうに見える人でも
何もない人はいない。


羨んでる場合じゃなく
むしろ同じように悩み苦しみが
ある仲間として

話が出来たらそれが一番
嬉しいと思う。

それが中々難しいのよね。

外に出ると皆んな外の顔で
歩いてるし

やたら滅多に弱みをこぼす訳に
いかないから
話せないけど

どんなに輝かしい人を見ても
裏には何かあるんだろう
くらいの気持ちは
持っておいても
いいんじゃないだろうかと思う。


自分じゃわからないけど
人から見たら

いっぱちが輝かしく見えてる人も
いるかもしれない。

中身はポンコツだけどね💦

見た目だけじゃ中身はわからない。

少し付き合っただけじゃ
その人のことを
理解できるものじゃないから


じっくり一人一人と
向き合って
丁寧に付き合っていける相手が
いたらいい。


幸せは自分で決める。
自分の幸せを追求すればいい。

やっぱり今がいい。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?