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86歳。父の背中

私の母は数年前に鬼籍に入ったのですが、我が家の父は今年86歳にならんとするのに元気いっぱいです。

小さな水道会社を長年経営し、現役を退いて尚 多趣味!

いまでも夏はパークゴルフ、冬はなんとスキーを嗜むバイタリティがあり、三度の食事も自分で造り、風呂もトイレも他人の手を借りないという達者ぶりです。

我が家は子供が二十歳を過ぎると家から叩きだされるのが 伝統としてありまして、20歳で兄は東京に、私は21歳で札幌に追い出されました。

生活に最低限の援助はありましたが、基本的に独立独歩が原則。

これは障害者である私も例外ではありませんでした。

食べるためには働かなければなりませんから、ビラ配りや清掃作業員、新聞配達、建設現場の監督やら、花農家の花の選別、プレス工員、スーパーマーケットの店員、警備員なんて調子に職を転々と(笑)。

なぜ これほど職を変えねばならなかったかというと これは他ならぬ日本経済の低迷とリーマンショックが重なったために、非正規雇用を繰り返さざるを得なかったからです。

底辺の暮らしと納税して食べるだけで精一杯という、そんな時代でした。

空手を始めてからは 空手道修業と共に生活が安定し、海外の空手団体から突然 日本支部長のオファーが舞い込みまして 現在に至ります。

私が子供の頃の日本は右肩上がりの高度成長時代でしたが、当時 父親にひとつ言われたことがありました。それは「男に生まれたら自分の書斎も持てないような男にはなるな」という言葉です。

私はその父の教えを忠実に守りまして、生活が軌道に乗ったとき真っ先に自宅のサンルームに書斎を設けました。

いまは そこでテレワークをしたり、電子書籍の執筆や 良からぬ事を(笑笑)しております。

簡素だった父の書斎とは似ても似つかぬ さらに簡素なものですが、戦後の貧しい境遇から這い上がり、 苦学して大学を出て会社を経営した父親に足元だけでも列ぶことができたかなァ、と しみじみするこの頃です。


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