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13時間睡眠

 目が覚めた。とりあえず、机の上に置いてあるスマホに手を伸ばし、電源ボタンを押してまぶしい画面の中右上にある時間を見てみると時刻は4時ちょっと前。あぁ。もうこんな時間かぁ。今日は10時にいったん起きて、リビングのソファで、学校で昨日借りてきた本をしばらく読んでいた。そこで親にも顔を合わせ

「おはよう」

「おはよう」

「今日早かったね。朝ごはんつくる?」

「昼近いからいらない」

「そう」

 といった単純な会話をかわす。早かったね。ってそりゃ昨日8時くらいに寝ているわけだからそりゃそんな長くは寝れねえよって心の中で突っ込む。一見よくある親と子のつまらない会話だと思うだろうが私たち親子にとっては、いや少なくとも私にとってはこの会話は結構貴重である。というのも普段それといった親子らしい会話をめったにしない私たちにとってこのあたかも普通の仲のよさそうな親子がする会話をするというのはかなり貴重なのだ。まあ、そうしてしばらく私は本を読み進めていくのだが、ある個所で止まった。どういう内容かというのはおいておいて、少し自分自身で考えさせられる箇所に来たのだ。もちろんなりふり構わず読み進めて作者の意見・答えを聞くのもいいのだが、それじゃあなんか教養のついている気はしない。だからここで少し私は本をいったん閉じ、目をつむり自分で考える時間を設けたのだ。そこら辺のただ作業的に本を読み進めていきそこに書いてあったことを要約するだけの人とは違うぞという意味も含めて、また一方でそんな自分に美しさを感じ少し日の光が差す部屋の中のソファで私は一人横になりながら思考を巡らせていたのである。

 そして、今、4時。やってしまった。完全にやってしまった。しかし、どうなのだろうか?これは本当にやってしまったのだろうか?これは単なる自己防衛の意思なのかもしれないが、この疑問の結果私は「私はやってしまっていない。」という結論に達したのだ。というのも、なにも私はこの何時間の間死んでいたわけではない。だから寝ている間の時間をまるで何もない空白の時間のようにとらえその分人生を損するととらえる人もいるが、私ははっきりそれは正しくないと言える。睡眠とは人生の中で最も幸せな個人的な時間だと思うからである。あなたにこの10時から4時の間、私が何を経験したかわかるだろうか?一見してただソファで居眠りしていただけに見えるだろう。そう。目に見えない世界を私だけが5感をもって体験し、過ごし、生きてきたのだ。しかもそれは、時に現実世界では絶対に経験することのできない世界を。

 たとえば、あなたは女として生きたことはあるか?世界を救ったことはあるか?自分の好きな子と部屋でキスをしたことがあるか?今はもう会えない昔の女友達と裸の付き合いになったことはあるか?大勢いる人たちの中から様々な試練を乗り越え英雄になったことはあるか?空のかなたから落ちたことはあるか?魔法を使ったことは?忍術は?など、普段私たちが生きている中ではとうてい経験することのできない世界を私たちは確かにこの体で実感できるのだ。しかもそれらはすべて無料である。「いやでもそんなのごくまれだし、基本的に起きたら忘れてるやん」という人もいるだろう。確かに記憶にはなくなっているかもしれない。でも確かに自分はその覚えていない世界を生きており、そこに何も意味がなかったわけではないのだ。あなたはいつから記憶にないものの存在を信じられないくなったのだ。

 とはいっても、やっぱり私も記憶にない夢に存在意義を見つけ出すのはかなり難しい。そこで私はできるだけ多くの夢を起きたときも覚えられるようにしている。これはトレーニングすれば誰にだってできる。簡単な話だ。起きたときに経験した夢の内容をできるだけアウトプットするのだ。起きたとき覚えていなかったものは諦める。これを繰り返しまくるうちにほとんどの夢を覚えていられるようになるし、さらにそうしたトレーニングは自身の記憶力の向上に大きくつながる。もしすべての夢での経験を覚えていられて、夢の時間が生きている時間の過半数になったとき、私たちは夢を現実とはっきり区別できるのであろうか。私たちは単に夢の中の世界が現実よりも時間的に短いから無意味なものとして判断しているだけなのではないだろうか。

 いってしまえば、私たちの神経は電流によって伝えられている。もしかしたら、本当の現実世界では大きな水槽に私の脳みそだけが入っていてそこに機械かなんかで電流を流されて、今この世界で自分があたかも生きているかのように感じているだけかもしれないのだ。本当はこの世界にいないのに、ものが見えたり聞こえたり考えたり神経がそう判断するから、本当は架空の世界なのに自分はこの世界で生きていると勘違いしているだけかもしれないのだ。ある日、あなたは急に目が覚め目を開けたらよく分からない真っ白な機械だらけの実験室。そしてすべてを思い出す。すべて寝てただけだった。と。なんてこともあるかもしれない。そのときあなたは何十年も生きてきた(生きてると思ってきた)あの世界での経験は無意味だったといえるだろうか。さあ、これを理解したうえで、普段何気に軽視している夢について考えてみよう。私たちが寝ている間に見る夢とはもう立派な現実世界なのではないだろうか。さらに、そこではなんでも許され、自分の都合のいいように世界が丸ごと作れる。(もし夢の世界でも許されないで、都合の悪くいくときもあったりしたら本当に世界は二つになるのだろうかと考えさせられる)

 そしてもう一つよく私がお世話になる夢のメリットとして、「自分の中の無意識を経験することができる」ということがある。なんど心に答えを求めても答えが返ってこないときがある。皆さんも体験したことがあるのではないだろうか。「俺は内心どう思っているんだ?何がしたいんだ?」という問いである。こんな時に夢の中の世界はとても役に立つ。そこに自分の本当の意志が現れてくるからである。

 あと、付け加えて言っておくメリットとして、夢の話は社会的に便利に使えるということだ。なにか面白い夢を見たのならそれを他人に話して話題とすることができるし、恋人がいるとき「お前の夢をみた」といえば「え、どんなの?」と向こうは聞いてくることだろう。またちょっとずる賢いが本当は見てないのに「この前○○さんが夢にでてきましたよ」なんていうのも使える。悪く思う人はいないだろうし絶対にばれることはない。バレそうになったらそこで目を覚ませばいい。

 話がだいぶわけ分からない方向へそれたから戻すと、すなわちこの10時から4時の一見大切な日曜日をまるつぶしにしたかのように見える昼寝を私は一ミリたりとも一秒たりとも無駄に思っていない。「その間勉強していたらだいぶ違っていただろうね」とか「うわもったいな。俺はずっとゲームしてたわ」とか人は言ってくるだろうが、そんなのいつだってできるし誰だってできる。知恵のついたサルにだってもしかしたらできる。俺のこの最高に幸福を感じた夢を他の誰が体験できるだろうか?あぁ、今思い出してみても本当に至福の時だったと思う。ただの日曜日に私はもしかしたら世界で一番幸せな経験をしたかもしれない。夢の中で。

 なんてこともきっとそのうち言えなくなってしまうのだろう。何ににもプレッシャーを与えられず、ただただ自由を感じ幸せを求められるこの時間に感謝し私はまた眠りにつくことにする。今度は自分の部屋のベッドで。


おやすみ世界。また夢の中で違った世界と出会えることを信じて。




これが自殺の文だとしたらあなたはどうとらえるか?