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はじめての起業。これまでの僕。

2023年3月現在、僕はもう少しで30歳になります。

株式会社IOWEを設立してから2か月が経過し、日々、事業計画見直しの繰り返し、会社メンバーとも協力をしていきながら、こうやったらいいんじゃないか、いやこうするほうがいいか ということを寝ても覚めても考えています。

冒頭年齢を記述したのは、キリのいい数字なので意識せざるを得ないし、せっかくnoteも始めたので、このタイミングで僕の20代も少し振り返ってみようと思います。まずは、1社目。

恵まれていたとしか考えられない新卒で入った会社のこと

プロフィールにも簡単に書いていますが、僕は神奈川県横浜市の生まれで大学までは実家すら出ることなく、新卒で入社した会社の配属が大阪になったタイミングで初めて一人暮らしを始めました。

入社した会社は中途採用のヘッドハンティングを手掛けるベンチャーで、1年目からかなりの裁量を持たせてもらって働かせてもらいました。社会人1年目は、とにかく右も左もわからないし、仕事の内容は難しいし、あんまり記憶にないです(笑)
大阪で1年ちょっと勤めていましたが、大阪にトラウマができるぐらい逆風でしかなかったと思います。

ただ一つだけ鮮明に覚えているのは、当時の上司(Tさん)が本当に面倒見がよくて、いっぱい泣かされてましたが、社会人デビューと同時にあそこまでご指導いただけたことが今の礎になってます。

そして少しだけ実績が出始めて、福岡へ転勤。右も左もわからなかった大阪時代から、どっちかが右でどっちかが左ぐらいはわかるようになってきて、26歳?とかで管理職に。部下はほとんどが年上の方で、ただがむしゃらに働いて、実績が全てだと思って、それで部下を持った僕は

まあ調子乗ってました。言葉遣いはタメ口。実績上がらないなら、寝ないで働くしかないでしょ、というマネジメント。ついてこれないなら辞めたら?というスタンス。

会社員3年目とか4年目とかの世代の中では所得もまあまああったし、仕事もある程度こなせるようになってきた矢先、人がついてこない問題勃発。今はそうじゃなくなったので、その当時の経験も必要だったよね、とかで片付けられない話だと思っております。反省しかない。

その時に、上司だったOさん。年齢は僕の7個上、仕事への姿勢、考え方、実績、すべてが圧倒的に敵わないレベル。どんなに尖っていた僕でも、週8で飲みに行って、うんうんって聞いてくれるだけ。「そのまま貫けよ、何があっても守るからそのままでいいぞ 」って言ってくれるだけ。器大きすぎ。書いてて泣きそうになるぐらい感謝してます。

そんな彼は中途入社で、彼の前職とか前々職とかの話を聞いて、1社で井の中の蛙みたいになってることを意識し始めたのが、会社を変えることになるきっかけだったのかもしれません。こう書くと彼が原因みたいになりますが断じてそうではなく、このまままともな大人になるのかな、って漠然とした不安を抱えていた気がします。

入社して約6年経過して、最高に充実してた会社員時代を終えて、心機一転、まさかの社長、まさかの縁もゆかりもない山口県、という環境で、チャレンジスタートとなりました。

次回、山口での経営者生活について。赤裸々に描きます。

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